1991年7月、当時引退を発表していたハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。当初はシッド・ジャスティス(Sid Justice)と名乗り、ベビーフェイスとして活動[4]。テッド・デビアスをはじめ、ザ・ウォーロード、タイフーン、カトー、ザ・バーバリアン、ハーキュリーズなどから勝利を収め、ジ・アンダーテイカーやジェイク・ロバーツとも抗争した[17]。しかし、1992年1月19日のロイヤルランブル'92での遺恨を発端にホーガンと仲間割れしてヒールに戻る[4]。ロード・ヒューマンガス時代にもマネージャーを担当していたダウンタウン・ブルーノことハービー・ウィップルマンと再合体し、同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた(試合はパパ・シャンゴの乱入でホーガンの反則勝ち)[18]。その後はアルティメット・ウォリアーと抗争するが、薬物検査での不正行為が発覚してWWFを解雇された[4]。
1993年5月にWCWに復帰したが、同年10月28日、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、アンダーソンの胸部と腹部をハサミで数箇所突き刺す事件を起こして解雇される(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)[4]。ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。
WCWを解雇された後、1994年からCWAの後継団体USWAに参戦して、ジェリー・ローラーとの抗争を再開[19]。同年7月16日には(アングルとして)試合前に対戦相手のローラーを襲って負傷させ、不戦勝によりUSWA統一ヘビー級王者となる[20]。以降、当時USWAと提携していたWWFのタタンカ、メイブル、アンダーテイカーらを挑戦者に迎え[21]、1995年2月6日にローラーに奪還されるまで戴冠した[20]。1995年
1995年2月下旬より、ニュー・ジェネレーション期のWWFに再登場。前述の事件もあってか、狂人ヒールのサイコ・シッド(Sycho Sid)としての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なシャワーシーンのBGMをイントロに用いていた)。当初はディーゼルに代わるショーン・マイケルズのボディーガードとして登場したが、4月2日のレッスルマニアXIでのマイケルズ対ディーゼル戦での連携ミスを発端に、翌日のマンデー・ナイト・ロウで仲間割れ[22]。その後はテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのメンバーとなり[4]、マイケルズ、ディーゼル、レイザー・ラモンらと抗争を展開[23]。1996年11月17日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズ'96において、マイケルズを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得した[24]。翌1997年はアンダーテイカーやストーン・コールド・スティーブ・オースチンの挑戦を退け[25]、1月19日にマイケルズに奪還されるも、2月17日にブレット・ハートを下して再び戴冠[24]。以後、前王者のブレットをはじめ、マンカインド、ベイダー、ハンター・ハースト・ヘルムスリーなどを相手に防衛戦を行い[25]、3月23日のレッスルマニア13においてアンダーテイカーに敗れるまでWWF王座を保持した[24]。