シダ
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ゼンマイやヤマドリゼンマイは巻いた若芽の葉柄部を食用にする[46]。ゼンマイは灰汁抜きの後、煮つけ、天麩羅、汁の実に用いられる[46]。ヤマドリゼンマイも灰汁や重曹で灰汁抜きの後、煮物や和え物、汁の実として用いられる[46]。どちらも乾燥したり塩漬けにしたり、卯の花漬けにして保存される[46]。ヤマドリゼンマイは瓶詰にして市販される[46]。日本の東北地方ではクサソテツコゴミと呼ばれお浸し揚げ物にして食される[15]。この仲間は北アメリカ東北部でも若芽の時期を珍重して食べられる[15]

アジアでは広くクワレシダ Diphasium esculentumが食用にされる[21]。中国南部や東南アジアでは、ホウライシダ科のミズワラビが食用にされる[41]ブータンではランダイワラビ Pteridium revolutumやイワデンダ科の Diplazium maximaやクワレシダ、オオイシカグマ Microlepia speluncae、ナチシダ Pteris wallichianaなどを食用とする[47]。これらはいずれも毒性があって家畜シカは食べないため、その排泄物を栄養として肥沃な放牧場にはこれらがよく繁茂し、放牧植生ができている[47]ヘゴも髄に多量の澱粉を含む茎や若い葉は食用とされ、オーストラリアではほろ苦い甘みがあり、まずいカブのような味だと表現される[29]。薬用・食用となるシダ類

ミヤコジマハナワラビ Helminthostachys zeylanica

山菜として食べられるゼンマイ Osmunda japonicaの若芽

シダ類の若芽 (Fiddlehead)を使った鶏肉料理

台北の飲食店で供されるクワレシダ Diphasium esculentum

水辺に生えるミズワラビ Ceratopteris thalictroides

食用に調理されたヒカゲヘゴ Cyathea lepifera

加工

ウラジロは単にシダと呼ばれる普通種で、常緑であるため、および「齢垂れる(しだれる)」とかけて長寿の象徴として正月の飾り物(注連飾り)などに用いられる[14][15][16]

カニクサは編み籠の材料とされた[16]。葉軸がしなやかであるためウラジロ科も編んで壁材や籠などの工芸品に利用される[16]

木生シダ類ヘゴ Cyathea spinulosaやオニヘゴ Cyathea podophylla、ヒカゲヘゴ Cyathea lepiferaやマルハチ Cyathea mertensianaは幹を家の柱や垣根に用いられ、細いものは生花の器に用いられるが、近年では専ら園芸材料として利用される[29]洋ランは自生地では樹木や岩石に付着し生活するため、洋ランの栽培に円盤状や板状、棒状や植木鉢状に加工して利用される[29]。ヘゴの根やゼンマイのひげ根(オスマンダ)はコンポストとして用いられる[29]。ヘゴ板の建材や園芸資材の需要は多くの種を脅かし、ワシントン条約により輸入規制されるものもある[29]。加工されるシダ類

正月の注連飾り。ウラジロの葉が用いられる。

ヘゴ材として用いられるマルハチ Cyathea mertensianaの「幹」

籠とシダの繊維

その他水面に浮かぶニシノオオアカウキクサ zolla filiculoides。

アカウキクサ科の水生シダには藍藻 Anabaena azollaeが共生窒素を供給するので貧栄養下でも生育できるため、東南アジアでは緑肥として用いられ、熱帯稲作地帯における肥料となっている[49]フィリピン国際稲研究所にはアカウキクサの系統保存施設がある[49]。逆にサンショウモ Salvinia natansは切断された植物体から栄養繁殖するため水田を覆い尽くす害草となる[49]

ニューギニア島ではキジノオシダ科のシダの葉を乾燥させ、の際に体を飾る材料として利用される[50]

徳川家康は老年期、兜の前立てにシダの歯を象った通称「歯朶具足」を愛用した。甲冑一式は久能山東照宮に奉納され、現在まで伝わっている。
フェナリーリッポン・リーのフェネリージーロング植物園(1892-1902年)のフェナリー

フェナリー(英:fernery)は、シダの栽培と展示のための専門の庭園である。

多くの国ではフェナリーは少なくとも日陰で湿った環境や光、霜などの極限からの保護や、乾燥地域に自生するシダの中にも雨や湿度からの保護を必要とするために屋内施設であるが、完全日照で最もよく育つものも存在するため、温暖な地域では屋外にあることが多く、同じような条件で育つさまざまな種が並んでいる。

1855年、イングランドの一部ではシダのブームが起きてプテリドマニア(シダ狂い)という現象を生む[51]。この言葉は聖職者であり自然主義者であったチャールズ・キングズリー(後に『水の子どもたち 陸の孤児のための童話』の著者)によって作られたものであるが、当時英国と外来の品種が収集、紹介されていくとコレクションを維持するために多くの道具が開発され、関連する園が次々と構築されていったことが知られる[52][53]
出典[脚注の使い方]^ a b c d e f g h 山田ほか 1983, p.524
^ a b c d 新村 2008, p.1237


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