シダ
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アカウキクサ科の水生シダには藍藻 Anabaena azollaeが共生窒素を供給するので貧栄養下でも生育できるため、東南アジアでは緑肥として用いられ、熱帯稲作地帯における肥料となっている[49]フィリピン国際稲研究所にはアカウキクサの系統保存施設がある[49]。逆にサンショウモ Salvinia natansは切断された植物体から栄養繁殖するため水田を覆い尽くす害草となる[49]

ニューギニア島ではキジノオシダ科のシダの葉を乾燥させ、の際に体を飾る材料として利用される[50]

徳川家康は老年期、兜の前立てにシダの歯を象った通称「歯朶具足」を愛用した。甲冑一式は久能山東照宮に奉納され、現在まで伝わっている。
フェナリーリッポン・リーのフェネリージーロング植物園(1892-1902年)のフェナリー

フェナリー(英:fernery)は、シダの栽培と展示のための専門の庭園である。

多くの国ではフェナリーは少なくとも日陰で湿った環境や光、霜などの極限からの保護や、乾燥地域に自生するシダの中にも雨や湿度からの保護を必要とするために屋内施設であるが、完全日照で最もよく育つものも存在するため、温暖な地域では屋外にあることが多く、同じような条件で育つさまざまな種が並んでいる。

1855年、イングランドの一部ではシダのブームが起きてプテリドマニア(シダ狂い)という現象を生む[51]。この言葉は聖職者であり自然主義者であったチャールズ・キングズリー(後に『水の子どもたち 陸の孤児のための童話』の著者)によって作られたものであるが、当時英国と外来の品種が収集、紹介されていくとコレクションを維持するために多くの道具が開発され、関連する園が次々と構築されていったことが知られる[52][53]
出典[脚注の使い方]^ a b c d e f g h 山田ほか 1983, p.524
^ a b c d 新村 2008, p.1237
^ a b c 伊藤 1972, pp. 8?10.
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^ Pryer et al. 2004
^ a b c d e f g h 岩槻 1997, pp.2-5
^ a b c d e f g h 海老原 2016, pp.9-15
^ a b c d e f g h 西田・橋本 1997, pp.66-70


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