シク教
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ドイツ00026000 10,000?20,000[11]00.03 0.03%00.11 0.05%-0.17%
ギリシャ00020000 20,000[12]00.11 0.1%00.07 0.07%
アイスランド00000100 10000.03 0.03%00.00 <0.01%
インド22700000 22,700,000[13]01.72 1.72%90.20 90.2%
インドネシア00015000 15,000[14]00.00 <0.01%00.00 <0.01%
イラン00000300 60 families[15]00.00 <0.01%00.00 <0.01%
アイルランド00001200 1,200[16]00.03 0.03%00.00 <0.01%
イタリア00070000 70,000[17]00.11 0.11%00.29 0.29%
日本00002000 2,00000.00 <0.01%00.00 <0.01%
カザフスタン00000800 80000.00 <0.01%00.00 <0.01%
ケニアウガンダタンザニア00075000 50,000-100,000[18]00.64 0.64%00.30 0.21%-0.42%
クウェート00020000 20,000[19]00.64 0.64%00.08 0.08%
レバノン00003000 3,00000.07 0.07%00.01 0.01%
マラウイ00003000 3,00000.02 0.02%00.01 0.01%
マレーシア00100000 100,000[20]00.37 0.37%00.42 0.42%
モーリシャス00037700 37,70000.30 0.3%00.16 0.16%
メキシコ00008000 8,00000.00 <0.01%00.03 0.03%
ネパール00005890 5,890[21]00.02 0.02%00.02 0.02%
オランダ00012000 12,00000.07 0.07%00.05 0.05%
ニュージーランド00019191 19,191[22]00.43 0.43%00.04 0.04%
ニジェール00003000 3,00000.02 0.02%00.01 0.01%
ノルウェー00005000 5,00000.00 <0.01%00.02 0.02%
パキスタン00050000 50,000[23]00.01 0.01%00.08 0.08%
フィリピン00050000 50,000[24] [25]00.05 0.1%00.09 0.09%
タイ00070000 70,000[26]00.10 0.1%00.29 0.29%
イギリス00432429 432,429[27]00.68 0.68%01.80 1.8%
アメリカ00700000 700,000[28]00.08 0.08%01.05 1.05%
ザンビア00003000 3,00000.03 0.03%00.01 0.01%
総計24,000,000 24,000,000
バンガロールの銀行の注意書き。武器の持ち込みを禁止するが、シク教徒の短刀は許可する

ヒンドゥー教が生来から帰依するものであるのに対して、シク教は改宗宗教であることから、異教徒やインド人以外に対しても布教が行われる。アメリカにも教徒がいる。

教徒はインド全域に分布しているが、特に総本山ハリマンディルの所在地であるパンジャーブ地方に多い。とくにインドのパンジャーブ州ではインド国内のシク教徒の約4分の3、州人口の59.9%(2001年)[29]を占め、多数派となっている。信徒数は約2400万人、日本には約2000人ほどが居住していると思われる。インドでは少数派でありながら社会的に影響力のある宗教集団である。ムガル帝国時代に武器を持って戦っていたためともされるが、技術的な事項に強い者が多く、インドのタクシー運転手にはシク教徒が多い。

シク教成立時から裕福で教養があり教育水準の高い層の帰依が多かったことから、イギリス統治時代のインドでは官吏軍人として登用されるなど社会的に活躍する人材を多く輩出し、職務等で海外に渡航したインド人にターバンを巻いたシク教徒を多く見かける。カールサーという信徒集団に所属しているメンバーは髪の毛と髭を切らず、頭にターバンを着用する習慣がある。そのため髭のあるターバンをつけたインド人男性はシク教徒だとわかる。ターバンの着用はヒンドゥー教徒などでは一般的でないにもかかわらず、世界的にはインド人男性の一般的イメージとなっている(理由はシク教徒を参考)。

女性も髪を切らないのでロングヘアーにしている。現在ではそのようなことをするカールサーのメンバーは減り、半数を割ったとも言われ、それに代わってそのようなことをしないサハジダリーと呼ばれる人が増えている。男性はシン(Singh,IPA: /?s??/=ライオン)、女性はカウル(王女)という名前を持つ。

政治的にはアカリ・ダルという宗教政党を持つものの、インド国民会議派の支持者も多く、政治的に団結しているわけではない。この州の国民会議派は、マンモハン・シング首相など有力政治家を生んだ。アカリ・ダルはジャナ・サンガ党、およびその後身であるインド人民党と同盟関係にあり、国民会議派とほぼ交互に州政権を握っている。1997年にはアカリ・ダルが勝利して州の政権を奪取し、アカリ・ダル総裁のプラカーシュ・シン・バダルがパンジャーブ州知事に就任したものの、2002年には敗北して国民会議派に政権を譲った[30]
寺院

シク教の寺院はグルドワーラーと呼ばれ、小規模な寺院はダルバールと呼ばれる。

シク教寺院に入るには靴を脱いで頭の上にハンカチをのせて髪の毛を隠さなければならない。これはターバンを巻くカールサーのメンバーへの配慮と思われる。グル・グラント・サーヒブを歌い、1時間程の礼拝の後にカラーパルシャードと呼ばれる砂糖菓子の神前の供物を恭しく食べるが、これは日本で神社仏壇の供えものを有難く頂戴するのと同種の習慣である。さらにランガルと呼ばれる食事が皆に振舞われる。これは無料で、内容はインド料理チャパティーパコラ)である。これはヒンドゥー教徒カーストが違う者と食事を共にしないことに対する批判である。

日本にあるシク教寺院としては、文京区神戸市にグル・ナーナク・ダルバールがあり境町にシク教寺院がある。礼拝は毎週日曜日の午前11時半頃より行われ、午後1時頃に昼食が終わる。寺院内ではカールサー派に敬意を表して頭にハンカチをかぶって髪の毛を隠さなければならない。日本人のシク教徒もいる。
歴代グル

第1代
グル・ナーナク(1469年 - 1539年)

第2代 グル・アンガド(1539年 - 1552年)

第3代 グル・アマル・ダース(1552年 - 1574年)

第4代 グル・ラーム・ダース(1574年 - 1581年)

第5代 グル・アルジュン(1581年 - 1606年)

第6代 グル・ハルゴービンド(1606年 - 1644年)

第7代 グル・ハル・ラーイ(1644年 - 1661年)

第8代 グル・ハル・クリシャン(1661年 - 1664年)

第9代 グル・テーグ・バハードゥル(1664年 - 1675年)

第10代 グル・ゴービンド・シング(1675年 - 1708年)

第10代教祖の4人の息子はムガル帝国との戦争で先に死んだため、遺言により、この後は教典がグルとされた。
歴史
グル・ナーナクの啓示から反ムガル帝国へ

16世紀初めに、初代グル・ナーナクが沐浴中に啓示を受け布教を開始した。ナーナクはパンジャーブにカルタールプルの町を建設して本拠地とし、やがてシク教はパンジャーブを中心に北インド一帯へ広がっていった。当時この地域はムガル帝国領であり、宗教に寛容なアクバルの統治下で繁栄していった。

第3代グル・アマル・ダースは、ナーナクとその後継者アンガドが作った聖歌と自作の聖歌、何人かのバガット(神愛者)の作品を『モーハン・ポーティ』としてまとめた[2]

1574年には第4代 グル・ラーム・ダースが、パンジャブ中心部にラームダースプル(現在のアムリトサル)を建設し、そこに黄金寺院の建設を開始した。黄金寺院は1604年に第5代グル・アルジュンによって完成され、聖典『アーディ・グラント』が置かれた。アルジュンはまた、信徒に対して生産物の10分の1税を課し、それまで喜捨に頼っていた教団の財政を大幅に強化した[31]

アクバル死後、ムガル帝国と対立するようになり、1606年にはグル・アルジュンがムガル帝国の弾圧を受け死亡した。このころから迫害と共に教団組織を整備し、反イスラム・反ヒンドゥー色を強める。アルジュンの息子である第6代グル・ハルゴービンドは、歴代グルのもつ宗教的支配権(ピーリー)に加え、全シク教徒に対する世俗的支配権(ミーリー)を持つことを宣言した[2]


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