スタンフォード大学で英語を[3]、イェール大学のスクール・オブ・ドラマで演技を学び[4]、1975年にはジョン・ギールグッド演出、イングリッド・バーグマン主演の舞台『The Constance Wife』に演出助手として付くと共にアンダースタディも得るが、限定公演のため出番はなく、ブロードウェイ・デビューとはならなかった。
その後は、オフ・ブロードウェイの舞台などに出演するようになり、クリストファー・デュラング作品などで活躍。映画に進出すると舞台から離れるが、1984年にはマイク・ニコルズ演出でデイヴィッド・レイヴ作『ハリーバリー
』のダーリーン役でブロードウェイ・デビューを飾り、トニー賞助演女優賞にノミネート(共演のジュディス・アイヴィーはトニー賞を受賞)。1977年にウディ・アレンの『アニー・ホール』の小さな役で映画デビュー。1979年公開の『エイリアン』で、エレン・リプリー役を勝ち取り、1997年の第4作までシリーズ化している。『エイリアンVSプレデター』にも出演のオファーがあったが、断っている。
1988年『ワーキング・ガール』でゴールデングローブ賞 助演女優賞、ダイアン・フォッシーを演じた『愛は霧のかなたに』でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) を受賞し、アカデミー賞にも両作でノミネートとなった。
2012年、ドラマ『ポリティカル・アニマルズ
』でドラマ初主演。2016年、第64回サン・セバスティアン国際映画祭でドノスティア賞(功労賞)を受賞[5]。 私生活では、1984年10月に演出家ジム・シンプソンと結婚(彼の舞台に出演したこともある)。1990年に1女が誕生している[6]。 イェール大学演劇大学院時代のクラスメートにメリル・ストリープがいる。 14歳の時にビートルズのハリウッド・ボウル公演を見に行ったことがあり、それが縁でドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ?EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』にインタビュー出演することになった[7]。 公開年邦題
プライベート
その他
『エイリアン4』の宣伝で来日した際、TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』に遠藤久美子として出演したことがある(詳しくは該当記事参照)
江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚色の映画『黒蜥蜴』のリメイク権を1980年代に取得している[要出典]。
アメリカで制定されている銃規制法の賛同者としても知られており、銃が出る映画や殺人シーンのある映画は一切見ない。そのため、『エイリアン2』で自身が演じる主人公のリプリーが銃器を使用する点に関して「とても難しい決断だった」と本人は語っている[8]。なお、近年は演技に関しては軟化したようで『シャドー・チェイサー』でも銃を使うシーンがある。
1989年に新日本製鐵(現:新日鐵住金)の企業イメージCM「生きることのすべてに、新日鉄。」に出演した[9]。
主な出演作品
映画
原題役名備考吹き替え
1977アニー・ホール
Annie Hallアルビーのデートセリフなし
1979エイリアン
Alienエレン・リプリー幸田直子(ソフト版)
戸田恵子(テレビ朝日版)
野際陽子(フジテレビ版)
田島令子(レーザーディスク版)