シカゴ
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人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった[8]

しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年の暴動(英語版)は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。

1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。

1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワー(英語版)やリグリー・ビル(英語版)、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム[10])、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル(同心円モデル)を打ち立てた[11]ことで有名である。

1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。

1950年から1970年にかけて民主党のリチャード・J・デイリー(英語版)市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地再開発治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。

シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業金融流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。
街の景観シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月

シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である[12]
主な超高層ビルミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルがウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)。右端のビルはAonセンター

ウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー、442m)- 2013年1 ワールドトレードセンターの建築まで、アメリカで最も高いビルであり、1998年まで世界一高いビルでもあった。

トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー(415.1m)

Aonセンター(346m)

ジョン・ハンコック・センター(344m)

AT&T・コーポレートセンター(307m)

プルデンシャル・プラザ2(303m)

311サウスワーカー・ビル(英語版)(293m)

トリビューン・タワー(英語版)(141m)

リグリー・ビル(英語版)(134m)

地理詳細は「シカゴの地理(英語版)」を参照

シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km2(234.0mi2)である。このうち588.3 km2(227.1 mi2)は陸地で17.8 km2(6.9 mi2)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。
気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。

シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。

シカゴ・ミッドウェー国際空港(1981?2010年、極値1928年- )の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)19
(67)24
(75)30
(86)33
(92)39
(102)42
(107)44
(111)39
(102)38
(101)34
(94)27
(81)22
(72)44
(111)
平均最高気温 °C (°F)?0.3
(31.5)2.1
(35.8)8.2
(46.8)15.1
(59.2)21.2
(70.2)26.6
(79.9)31.8
(89.2)32.3
(90.1)24.1
(75.3)17.1
(62.8)9.2
(48.6)1.8
(35.3)15.6
(60.0)
日平均気温 °C (°F)?4
(24.8)?1.8
(28.7)3.8
(38.8)10.2
(50.4)16.1
(60.9)21.7
(71.0)24.4
(75.9)23.4
(74.1)19.1
(66.4)12.3
(54.2)5.3
(41.5)?1.7
(29.0)10.7
(51.3)
平均最低気温 °C (°F)?7.7
(18.2)?5.7
(21.7)?0.6
(30.9)5.4
(41.7)10.9
(51.6)15.6
(60.1)19.2
(66.5)19
(66.2)10.3
(50.5)7.6
(45.7)1.4
(34.5)?5.2
(22.7)6.4
(43.5)
最低気温記録 °C (°F)?34
(?30)?29
(?20)?22
(?7)?12
(10)?2
(28)2
(35)8
(46)6
(43)1
(34)?7
(20)?19
(?3)?29
(?20)?34
(?30)
降水量 mm (inch)52.3


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