1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズやヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。
1950年から1970年にかけて民主党のリチャード・J・デイリー(英語版)市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地の再開発と治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。
シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体・電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業・金融・流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。
街の景観シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月
シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である[12]。
主な超高層ビルミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルがウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)。右端のビルはAonセンター。
ウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー、442m)- 2013年の1 ワールドトレードセンターの建築まで、アメリカで最も高いビルであり、1998年まで世界一高いビルでもあった。
トランプ・インターナショナル・ホテル・アンド・タワー(415.1m)
Aonセンター(346m)
ジョン・ハンコック・センター(344m)
AT&T・コーポレートセンター(307m)
プルデンシャル・プラザ2(303m)
311サウスワーカー・ビル(英語版)(293m)
トリビューン・タワー(英語版)(141m)
リグリー・ビル(英語版)(134m)
地理詳細は「シカゴの地理(英語版)」を参照
シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1km2(234.0mi2)である。このうち588.3 km2(227.1 mi2)は陸地で17.8 km2(6.9 mi2)は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。 ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に属する。冬季は厳しい寒さとなるが、さほど降雪は多くない。一方、夏季は温暖な南西風の影響でかなりの暑さとなり、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。 シカゴは英語で「風の街」(Windy City)と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、実際はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1893年の万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk is full of hot air. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴおよびシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1893年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった。 シカゴ・ミッドウェー国際空港(1981?2010年、極値1928年- )の気候
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)19
(67)24
(75)30
(86)33
(92)39
(102)42
(107)44
(111)39
(102)38
(101)34
(94)27
(81)22
(72)44
(111)
平均最高気温 °C (°F)?0.3
(31.5)2.1
(35.8)8.2
(46.8)15.1
(59.2)21.2
(70.2)26.6
(79.9)31.8
(89.2)32.3
(90.1)24.1
(75.3)17.1
(62.8)9.2