シカゴ大学
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USニューズ誌では米国内第12位。経済学部は第1位の評価を受けている[12]

著名な卒業生に「シカゴ学派」の提唱者となった経済学者ミルトン・フリードマン、世界銀行総裁ポール・ウォルフウィッツ、『ワシントン・ポスト』紙発行人のキャサリン・グラハム、ノーベル文学賞を受賞したポール・セロー、天文学者のカール・セーガンなどがいる[13]

大学のモットーは、"Crescat scientia; vita excolatur (知識を創出し人類の生活を啓発せよ)"。
歴史正門

アイヴィー・リーグの一校であるブラウン大学に同名の息子を送った資産家のジョン・D・ロックフェラーが「中西部にもブラウンの様な卓越した学問の場が必要」と莫大な資金提供をし1890年設立した。初代学長ウィリアム・ハーパーは1906年に、49歳で死去するまで学長をつとめ、大学の基礎を築いた。

1929年、30歳の若さで第5代学長に就任した教育哲学者ロバート・M・ハッチンス(en:Robert Maynard Hutchins)は、「ハッチンス革命」と呼ばれる大学改革を断行した[14]。彼は「大学の教育は余りにも重大であり、これを学ぶにあたっては、学生は全力を投入しなければならない」として、体育系・文化系を問わずすべての課外活動を禁止した。それまで全米10位のなかに入っていたシカゴ大フットボール部も廃止し、競技場の南側の施設の地下室を「中性子研究所」(後の「原子力研究所」)に当てた[14][15]

また、在来の学部は全廃され、3年制の少人数学部のみとし、シカゴ大学の本体はすべて大学院にした。こうしてシカゴ大学は当時世界で唯一の「大学院大学」となった[14]。1941年に学科類似の組織として社会思想委員会(en:Committee on Social Thought)が設立されたのもハッチンス学長時代である。ハッチンスは1951年、フォード財団の副理事長になるため学長を辞任した[15]

マンハッタン計画においては、グレン・シーボーグ率いる化学者らが、シカゴ大学において、当時製造されて間もなかったプルトニウムの研究を行った。1942年12月2日には、エンリコ・フェルミ率いる科学者のチームが、世界初の核反応実験に成功した。

その他にも、放射性炭素年代測定法の開発、ジェット気流の発見、レム睡眠の発見、ユーリー-ミラーの実験の実施、ベトナム戦争にて用いられた枯葉剤の発明等がシカゴ大学で行われた。
ランキング・評価

ビジネススクールChicago Booth)はU.S. News & World Report誌で全米1位(2022年)、Forbesでは2019年から2021年にかけて全米1位、The Economistでは過去12年間で9回全米1位になっている。

ロー・スクール2021年のU.S. News & World Report誌で全米4位[16]

U.S. News & World Report誌の2020 Best National Universitiesでスタンフォード大学と同率の全米6位にランクされている[17]

政治学全米7位、社会政策学全米3位、公共政策学全米3位、数学全米TOP5、神学全米1位、メディカル・スクールU.S. News &World Report誌全米17位[18]

なお、マッキンゼー・アンド・カンパニーオラクルベーカー&マッケンジーボストン・コンサルティング・グループ日本支社、ゴールドマン・サックス日本支社といった企業がシカゴ大学の卒業生によって設立されており、企業家の卵としての側面も持っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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