シオン賢者の議定書
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また、1881年7月にフランスのカトリックの機関誌『同時代人』は、ユダヤ人は太古の昔より地上の支配権を持つことを目的にしていると報じたが、その典拠はゲートシュのこの小説であった[34]
文書の流布「反ユダヤ主義」を参照

第一次世界大戦中にロシア革命が起きると、国際的に反ユダヤ主義が強まっていった[35]。議定書も多くの国で翻訳され、流布していった。
ロシア

ロシア内戦(1917-1922)中、ロシア白軍総司令官のコルチャーク1918年7月のロマノフ家処刑直後に議定書に没頭し、1919年2月15日には「ロシアを破滅に追い込んでいるユダヤのごろつきどもを追い立てよ」と宣言し、ロシアの大地は反ユダヤ十字軍を必要としていると宣言した[36]
オカルト結社

議定書の普及には、近代神智学の信奉者などオカルティストたちが積極的に動いた。『シオン賢者の議定書』が作られた当時のロシア宮廷にはパピュスことジェラール・アンコース(フランス語版)等のオカルティストがコネクションを有していた[26]

議定書を最初にフランスからロシアに持ち込んだと疑われるユスティニア・グリンカは、神智学徒で、近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーとも親交があった[26][27]。神智学やルドルフ・シュタイナー人智学では、しばしば闇の勢力の暗躍が語られており、そうした土壌の上に議定書は普及し、多くのオカルト結社やその周辺で、闇の勢力とは「ユダヤ」であると言われるようになり、ユダヤ陰謀論が盛んになった[27]
イギリス1921年8月16日から18日にかけて英誌『タイムズ』は『シオン賢者の議定書』が偽書であると暴露した。

1920年イギリスでロシア語版を英訳し出版したヴィクター・マーズデン(英語版)(「モーニング・ポスト」紙ロシア担当記者)が急死したため、そのエピソードがこの本に対する神秘性を加えた。マーズデン記者はロシアで囚われた際にユダヤ人が拷問係であったし、ロシアの破壊者はユダヤ人だと証言し、『シオンの賢者の議定書』という証拠もあると述べた[35]

1920年、モーニングポスト紙編集者ハウエル・アーサー・グウィンが序文を書いた『世界の不穏の原因』でも「シオン賢者」と「ユダヤ禍」が主張された[37][38]

1920年4月、ロイド・ジョージ首相とボルシェビキとの交渉が実現し、レオニード・クラシンが非公式にロンドンに招待されると、タイムズは「ユダヤ禍」記事で『シオン賢者の議定書』を引き写して、ダビデの世界帝国を樹立しようとしている陰謀家との交渉として批判した[39][37]。タイムズ記事では『シオン議定書』が偽書であるならば、この恐ろしいまでの予言の才をいかに説明したらいいのか、イギリスがパックス・ゲルマニカ(ゲルマンの平和)を防いだのは、パックス・イウダーイカ(ユダヤの平和)のためだったのか、と書いた[37]

スペイクテイター紙は1920年5月15日に議定書は半狂乱のユダヤ人陰謀家が作者であるとして、ユダヤ人は見境を失った瞑想をするオリエントの民族であり、他のユダヤ人も秘密裏に議定書の見方を持つことはありえると報道した[37]。その後も同紙は7月17日に真のユダヤ禍とはユダヤによる世界一極支配の陰謀とは無関係であり、普通のユダヤ人が内閣に加わっていることが良き政府の原則に背馳するといったり、10月9日にはユダヤ人は危険因子で国際争乱の源泉であるとし、10月16日にはユダヤ人への市民権授与には慎重であるべきで「社会のペスト」であるユダヤ人陰謀家の醜い仮面を剥ぎ取ろうと呼びかけた[37]

議定書については1921年8月16日から18日にかけて英紙『タイムズ』がフィリップ・グレイヴス(Philip Graves)記者による「議定書の終焉」記事を掲載した[37]。報道の中で、コンスタンチノープルの記者グレーブスは表紙にJOLIと印刷された古本が議定書の元ネタだと暴露した。

『タイムズ』の編集部は大英博物館に保管されていた『マキャベリモンテスキューの地獄での対話』と本書とを比較して、その正体を明らかにした[40]

タイムズ紙は以後、『シオン賢者の議定書』を情報源として使用しなくなった[37]
フランス

第一次世界大戦でイギリスがパレスチナを占領すると、フランスのカトリック司祭エルネスト・ジュアン(Ernest Jouin)は『秘密結社国際評論(Revue internationale des societes secretes)』で『シオン議定書』を紹介し、パレスチナがフランスからイギリスの手に渡り、ユダヤ人の手に渡ろうとしていることは背信行為であると述べた[41]

1919年3月29日に『ドキュメンタシオン・カトリック』紙はユダヤ人は王国を再建しようとしているとし、ユダヤ教の政治的支配に対抗してキリスト教徒はイスラム教徒と連帯するべきだと主張した[42][41]。また同紙1920年は『シオン賢者の議定書』の信憑性は保証すると紹介した[43][44]。。

1920年5月には新聞各紙が反ユダヤ主義的報道を繰り返した[45][46][41]。カトリック紙『コレスポンダン』は1920年5月25日に『シオン議定書』を紹介し、『ラントランジャン』紙は5月27日に「ツンダー文書」を掲載した[41]7月2日にはギュスタヴ・テリーが『ルーヴル』紙で『シオン議定書』を紹介した[41]

他方、ジャーナリストのアンドレ・シェラダムは、三国協商加盟国は、ユダヤ=ドイツ組合の国際金融活動と、国際ボリシェビキ運動に挟まれているが、ユダヤ人による世界征服という陰謀は誤謬であり、ユダヤ人は汎ゲルマン主義に抗する組織を創出すべきだと提案した[41][47]。またベルギーのピエール・シャルル神父は1922年4月に、『シオン議定書』は荒唐無稽で悪意に満ちた偽書であると論じ、またアンリ・デ・パサージュ神父もユダヤ陰謀論を批判し、1927年頃にはフランスのイエズス会は反ユダヤ陣営から撤退した[48]
アメリカ

ロシア革命が起きると、イギリスと同じようにアメリカでも反ボルシェビキ・反共主義運動が高まった。1918年9月には『反ボルシェビスト(The Anti-Boshevist)』が発刊され、アメリカを参戦に駆り立てたのはユダヤ人であるとされた[49]

ペトログラードでエヴゲニー・セミョーノフがアメリカ人外交官エドガー・シソンに渡した文書をもとに、1918年9月、アメリカ政府は『ドイツボルシェビキの陰謀』を刊行し、トロツキーはドイツのユダヤ人銀行家マックス・ヴァールブルクとライン=ヴェストファーレン労働組合から資金提供を受け、ユダヤ人はドイツとオーストリア=ハンガリー帝国でユダヤ共和国を築いたとされた[50][46]


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