シオン賢者の議定書
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その後も同紙は7月17日に真のユダヤ禍とはユダヤによる世界一極支配の陰謀とは無関係であり、普通のユダヤ人が内閣に加わっていることが良き政府の原則に背馳するといったり、10月9日にはユダヤ人は危険因子で国際争乱の源泉であるとし、10月16日にはユダヤ人への市民権授与には慎重であるべきで「社会のペスト」であるユダヤ人陰謀家の醜い仮面を剥ぎ取ろうと呼びかけた[37]

議定書については1921年8月16日から18日にかけて英紙『タイムズ』がフィリップ・グレイヴス(Philip Graves)記者による「議定書の終焉」記事を掲載した[37]。報道の中で、コンスタンチノープルの記者グレーブスは表紙にJOLIと印刷された古本が議定書の元ネタだと暴露した。

『タイムズ』の編集部は大英博物館に保管されていた『マキャベリモンテスキューの地獄での対話』と本書とを比較して、その正体を明らかにした[40]

タイムズ紙は以後、『シオン賢者の議定書』を情報源として使用しなくなった[37]
フランス

第一次世界大戦でイギリスがパレスチナを占領すると、フランスのカトリック司祭エルネスト・ジュアン(Ernest Jouin)は『秘密結社国際評論(Revue internationale des societes secretes)』で『シオン議定書』を紹介し、パレスチナがフランスからイギリスの手に渡り、ユダヤ人の手に渡ろうとしていることは背信行為であると述べた[41]

1919年3月29日に『ドキュメンタシオン・カトリック』紙はユダヤ人は王国を再建しようとしているとし、ユダヤ教の政治的支配に対抗してキリスト教徒はイスラム教徒と連帯するべきだと主張した[42][41]。また同紙1920年は『シオン賢者の議定書』の信憑性は保証すると紹介した[43][44]。。

1920年5月には新聞各紙が反ユダヤ主義的報道を繰り返した[45][46][41]。カトリック紙『コレスポンダン』は1920年5月25日に『シオン議定書』を紹介し、『ラントランジャン』紙は5月27日に「ツンダー文書」を掲載した[41]7月2日にはギュスタヴ・テリーが『ルーヴル』紙で『シオン議定書』を紹介した[41]

他方、ジャーナリストのアンドレ・シェラダムは、三国協商加盟国は、ユダヤ=ドイツ組合の国際金融活動と、国際ボリシェビキ運動に挟まれているが、ユダヤ人による世界征服という陰謀は誤謬であり、ユダヤ人は汎ゲルマン主義に抗する組織を創出すべきだと提案した[41][47]。またベルギーのピエール・シャルル神父は1922年4月に、『シオン議定書』は荒唐無稽で悪意に満ちた偽書であると論じ、またアンリ・デ・パサージュ神父もユダヤ陰謀論を批判し、1927年頃にはフランスのイエズス会は反ユダヤ陣営から撤退した[48]
アメリカ

ロシア革命が起きると、イギリスと同じようにアメリカでも反ボルシェビキ・反共主義運動が高まった。1918年9月には『反ボルシェビスト(The Anti-Boshevist)』が発刊され、アメリカを参戦に駆り立てたのはユダヤ人であるとされた[49]

ペトログラードでエヴゲニー・セミョーノフがアメリカ人外交官エドガー・シソンに渡した文書をもとに、1918年9月、アメリカ政府は『ドイツボルシェビキの陰謀』を刊行し、トロツキーはドイツのユダヤ人銀行家マックス・ヴァールブルクとライン=ヴェストファーレン労働組合から資金提供を受け、ユダヤ人はドイツとオーストリア=ハンガリー帝国でユダヤ共和国を築いたとされた[50][46]。この文書は1919年9月23日にロストフで出版され、1920年にはパリの『古きフランス』紙やロンドンのザ・モーニング・ポストでも報じられた[46]1918年11月30日付けの国務省内報告書「ボリシェヴィズムとユダヤ」では、ユダヤ人がアメリカ、日本、中国の軍事力を利用してゴイーム(非ユダヤ人)の反抗を抑えつけると結論された[49]。報告書はロシア亡命者ボリス・ブラソルによって作成され、ブラソルはラスプーチンを暗殺したロシア貴族フェリックス・ユスポフへ渡し、ユスポフからイギリス諜報局のバジル・トムソン[51] へ、そして米国務省ロバート・ランシングへという経路を通って手渡された[49]

上院特別委員会では、クエーカー教徒ケディーはロシア新体制は平和主義で良きキリスト者であると証言し、またジャーナリストのウィリアムズはロシアは人類の新たな兄弟愛を目指していると証言する一方で、ウィリアム・ハンティントン領事や、ナショナル・シティーバンクロシア支店長、ロシア・メソディスト教会のシモンズ牧師らはロシア革命の大多数はユダヤ人によってなされたと証言した[49]。シモンズ牧師は、自分は反ユダヤ主義者ではないし、ポグロムを嫌悪するが、トロツキーの数百人の部下はニューヨークのイーストサイド出身であり、ロシア新体制は反キリスト教的であり危険であると証言した[49]。シモンズ牧師への情報提供者の軍医ハリス・A・ホートン博士は『議定書』の信奉者だった[49]。翌日、各紙は、アメリカのユダヤ人がロシアで権力を握ったというシモンズ牧師の証言を報道した[49]。しかし、上院特別委員会では、リトアニアクディルコス・ナウミエスティス出身のユダヤ人ジャーナリスト、ハーマン・バーンシュタインの陳述等によって「ニューヨークのユダヤ人による陰謀」という見方は採択されなかった[52]

アメリカでは自動車王ヘンリー・フォードが、所有する『ディアボーン・インデペンデント(英語版)』紙上で反ユダヤ文書の連載を始めた。1920年には『国際ユダヤ人(英語版)』という書籍としてまとめられ出版し、アメリカ国内で約50万部を売り上げ[53]、さらに16ヵ国語に翻訳され、ドイツではヒトラーらも愛読した。

これに対して1920年12月1日アメリカユダヤ人委員会は、ブナイ・ブリス、アメリカ・ユダヤ会議、アメリカ・シオニスト会議、アメリカ・ラビ中央協議会と連名で冊子The Protocols, Bolshevism and the Jews:An Address to Their Fellow-Citizens by American Jewish Organizations(「議定書:ボルシェヴィズムとユダヤ人」を発行した[54]

12月4日、プロテスタント長老派教会はユダヤ人の市民精神を信頼すると表明した[54]12月24日、ユダヤ教、カトリック、プロテスタント三宗派連合で少数民族とユダヤ人への迫害を断罪する三宗派共同声明を発表した[54]1921年1月16日のウィルソンら歴代大統領ほか著名人の共同声明は、反ユダヤ主義は反アメリカ的で反キリスト教的であると抗議した[54]。『アメリカ』誌はフォードに抗議するユダヤ人について、ユダヤ人の素早さは称賛すべきであると報道した[54][55]


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