シエーナ
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子音とアクセントの関係から、カナ転記としては「スィエーナ」[5][6]が現地音に近い。

日本語文献では「シエーナ」[6]のほか、「シエナ」[7][8][9][10][11]とも記される。
地理
位置・広がり

トスカーナ州の南東部にあたるシエーナ県の西北部に位置する。州都フィレンツェからは南へ約50km、首都ローマからは北西へ約185km、リヴォルノからは南南東へ約87km、ペルージャからは西北へ約89kmの距離にある。
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

アシャーノ

カステルヌオーヴォ・ベラルデンガ

モンテリッジョーニ

モンテローニ・ダルビア

ソヴィチッレ

気候分類・地震分類

シエーナにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona D, 1943 GGである[12]。また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicita bassa) に分類される[13]
歴史シエーナ共和国庁舎、鐘楼は1344年完成
古代から中世へ

この地方の丘陵上の都市と同様、エトルリア人の居住地に都市の起源があるとされるが、シエーナの古代の姿は明らかではない。ローマ時代には主要な街道からも外れており、キリスト教が伝わったのも4世紀であった。シエーナが重要な都市として姿を現し、歴史の上に明確な位置を占めるようになるのは、中世以降となる。

6世紀半ば、ランゴバルド人は北イタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国した。アウレリア街道カッシア街道といったローマ時代の幹線道路は東ローマ帝国側の勢力下にあったため、ランゴバルド人たちは北方とローマを結ぶ安全な交易路としてシエーナを経由する道をとった。またローマへ往来する巡礼者たちが恒常的にいたことで、シエーナには安定した収入がもたらされ、シエーナは交易の拠点として繁栄を見せるようになった。774年、シエーナの貴族はカール大帝に降伏し、フランク王国の領域に入った。
シエーナ共和国詳細は「シエーナ共和国」を参照
共和国の勃興

1115年、北イタリアの大領主であったトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサが後継者なく没すると、その領域は細分化されて自治的な勢力が勃興し、都市国家群が生まれることになる。金融の一大センターとなり、また羊毛取引の重要な担い手として成長したシエーナでは、市民による自治組織(コムーネ)が勢力を伸ばした。1167年、シエーナのコムーネは、司教による統治からの独立を宣言した。1179年には都市の憲章が制定されている。

カンポ広場は、13世紀初頭までには都市の世俗生活の中心として重要な役割を担うようになった。市場やスポーツ行事(サッカーの原型とされるカルチョ・フィオレンティノなど)の場として利用され、また新しい街路はカンポ広場を中心に作られた。1194年、カンポ広場に面した現在の市庁舎のある場所で、土壌浸食を防ぐための壁が建設されており、このことは広場が重要な役割を持つこととなったしるしと言えるだろう。

1240年にはシエーナ大学が設立された。シエーナ大学は法学と医学で知られた。
シエーナとフィレンツェ市庁舎壁画、アンブロージョ・ロレンツェッティ『善政の効果』

シエーナ共和国は、内部に貴族と市民の間の対立を抱えながら、外に最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げた。教皇派と皇帝派の抗争では、フィレンツェが教皇派(ゲルフ)であったのに対抗し、シエーナは主に皇帝派(ギベリン)の立場に立っていた。1260年のモンタペルティの戦い(英語版)で、シエーナはフィレンツェに大勝を収めるも、1269年にはコッレ・ヴァル・デルサの戦い (Battle of Colle Val d'Elsa) で大敗を喫している。この敗戦を契機にシエーナでは皇帝派の政府が倒れ、フィレンツェとの関係が改善された。

13世紀後半から14世紀半ばにかけて、ゴシック期からルネサンス期への移り変わる時代に、シエーナは最盛期を迎えている。ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャはシエーナを拠点に活躍し、シエナ派の祖とされる。アンブロージョ・ロレンツェッティはシエーナのプブリコ宮殿(市庁舎)の壁画(フレスコ画)として、「善政の効果」などを描いた。
14世紀後半から滅亡まで

1348年、黒死病の流行によりシエーナは打撃を受けている。14世紀後半以降には貴族と市民との内部抗争が激化し、政変が繰り返された。

1458年には、シエーナ出身のピウス2世が教皇に選出されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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