シェンゲン協定
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 エストニア7004452260000000000?45,2267006134027400000000?1,340,2742004年5月1日2007年12月21日b
 ハンガリー7004930300000000000?93,0307007100136280000000?10,013,6282004年5月1日2007年12月21日b
 リトアニア7004653030000000000?65,3037006332922700000000?3,329,2272004年5月1日2007年12月21日b
 ラトビア7004645890000000000?64,5897006224896100000000?2,248,9612004年5月1日2007年12月21日b
マルタ7002316000000000000?3167005416333000000000?416,3332004年5月1日2007年12月21日b
ポーランド7005312683000000000?312,6837007381638950000000?38,163,8952004年5月1日2007年12月21日b
スロバキア7004490370000000000?49,0377006542405700000000?5,424,0572004年5月1日2007年12月21日b
スロベニア7004202730000000000?20,2737006205411900000000?2,054,1192004年5月1日2007年12月21日b
スイスa7004412850000000000?41,2857006776047700000000?7,760,4772004年10月26日2008年12月12日
リヒテンシュタインa7002160000000000000?1607004359810000000000?35,9812008年2月28日2011年12月19日
クロアチア7004565940000000000?56,5947006429061200000000?4,290,6122013年7月1日2023年1月1日
 ルーマニアf7005238391000000000?238,3917007214138150000000?21,413,8152023年12月30日2024年3月31日
 ブルガリア7005110993000000000?110,9937006736457000000000?7,364,5702023年12月30日2024年3月31日

a. .mw-parser-output .citation{word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}^ 欧州連合に加盟していないが、シェンゲン関連では欧州連合と連携している。
b. ^ 陸上の境界および港を対象としたもの。空港については2008年3月30日から対象となっている。
c. ^ 東ドイツが西ドイツに吸収されたことで、旧東ドイツ領も1990年10月3日にシェンゲン圏入りした。これ以前の東ドイツはシェンゲン協定の対象外となっていた。
d. ^ グリーンランドとフェロー諸島は査証を必要としない渡航者については間接的にシェンゲン圏に含まれることになる。デンマーク以外のシェンゲン加盟国が発行したシェンゲン査証ではグリーンランド、フェロー諸島に入ることができない。またデンマーク発行の査証でも、特例が認められているか、査証に「フェロー諸島において有効」「グリーンランドにおいて有効」と補記なされていなければこれらの領域に入ることができない[4]
e. ^ ただしヤンマイエン島はシェンゲン圏に含まれる。
f. ^ 暫定的に空路・海路での入国審査廃止のみ、2024年4月現在陸路の入国審査は継続されている。[5]
国境審査を行っていない非EU加盟国

バチカン市国

サンマリノ共和国

アンドラ公国

事実上シェンゲン協定に加盟している非EU加盟国

モナコ公国

歴史ノルウェーフィンランド国境。両国はシェンゲン協定に加えて北欧旅券同盟にも加盟している。

第一次世界大戦以前はそれぞれの国がパスポートを発行していたが、国境において体系的な身元検査が実施されていたかはほぼ不明であり、多国間での渡航でパスポートは必要がなかった[6]。戦争とその後の情勢において国籍というものが重要な問題となり、パスポート検査は多国間での渡航において当然になされるものとなった[7]。ところが戦中、戦後のヨーロッパにおいてパスポート検査が広まっていったにもかかわらず、一部の地域では国と国との間での往来が自由なままだった。

1922年のアイルランド自由国建国直後に、イギリス、アイルランド両政府間での非公式な合意がなされ、両国間の国境の開放は継続することとなった。この出来事を背景として英愛両国間で形成された共通旅行区域の存在と、イギリスがシェンゲン協定に消極的であったことから、アイルランドもシェンゲン協定への参加を見送ることとなった[8]

1944年、ベネルクスの各亡命政府は3国間での国境検査を撤廃する協定に署名し、この協定は1948年に発効した。

類似のものとして、1952年にはデンマークフィンランドアイスランドノルウェースウェーデンとこれらの国々の属領は相互に自由な渡航を認める北欧旅券同盟(英語版)を結成した。これによって1958年に国境検査が撤廃された。
シェンゲン協定

もともとシェンゲン協定は、欧州連合の加盟国の間での意見の一致が得られず、また実施できる状況にあった諸国がほかの国の参加を待たなかったということもあって、欧州連合の枠組みの外で制定されたものであった。イギリスとデンマークは協定に参加していなかったが、ノルウェーやほかの北欧諸国の参加が認められるとデンマークもこれに加わった。
シェンゲン関連法の欧州連合への組み入れヨーロッパの国と地域的機関の相互関係

シェンゲン圏諸国のうち、ノルウェー、アイスランド、スイス欧州自由貿易連合の参加国で、ほかの国はすべて欧州連合に加盟している。欧州連合加盟国のうち、アイルランドはシェンゲン体制の一部にのみ参加している。シェンゲン協定の国境を示しているスペインポルトガルの間のシンプルな標識。

ところがアムステルダム条約でシェンゲン協定に関する法的枠組み、いわゆるシェンゲン・アキ(フランス語版)(: Schengen Acquis)[9]を欧州連合の枠組み、アキ・コミュノテール: acquis communautaire)に組み入れられた。とりわけ欧州連合理事会、のちに共同決定手続によって欧州連合理事会と欧州議会がシェンゲン協定で設置されていた執行委員会の機能を継承した。これによりシェンゲン協定に加わる要件を定める法令は、欧州連合の立法機関における表決で制定されることになっている。またもともとのシェンゲン協定自体も欧州連合の枠組みで改廃がなされるようになっており、修正にあたっては署名国による批准が必要ではなくなった[10]。このため、欧州連合に加盟はしていないもののシェンゲン協定には参加している国はシェンゲン協定関連の規定の改定に参加できる機会がほとんど与えられていない。このような国々が選択できる行動は実質的に、提示された規定を受け入れるか、あるいはシェンゲン協定から脱退するかのいずれかしかないのである。また欧州連合に加盟を申請しようする国は欧州連合側に受け入れられるために、シェンゲン圏外との境界に関する政策が協定の基準を満たしていなければならないことになっている。
シェンゲン協定関連規定の法的根拠

欧州連合

欧州連合の政治


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