彼女の音楽の創造性は1つのジャンルからくるものではなく、彼女はドラムのビートが鳴る曲であれば何でも好んでいた。2008年、彼女はエレン・デジェネレスに「もしもドラムがなかったらその曲を覚えられないでしょう」と語った[8][9]。 大学卒業前からミズーリ州フェントン
初期
1986年に、自らの音楽への夢を追うため、カリフォルニアに移住する。翌1987年から1989年、マイケル・ジャクソンのコンサート・ツアー『Bad World Tour』でのコーラスを務め、ツアーの一環で同年9月から10月にかけて来日もしている。しばしば『キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』でジャクソンと演奏した[12]。スティーヴィー・ワンダー、ベリンダ・カーライル、ドン・ヘンリーなど多くの著名なアーティストのバッキング・ヴォーカルとしてレコーディングへ参加。
1990年、短期間で終わったスティーヴン・ボチコのドラマ『Cop Rock 』で歌った。同年、映画『Bright Angel 』に彼女の曲『Heal Somebody 』が登場した。翌年彼女は映画『ハートブルー』のサウンドトラックで使用された『Hundreds of Tears 』を演奏し、ケニー・ロギンスのアルバム『Leap of Faith 』の曲『I Would Do Anything 』で彼とデュエットした。 1990年、A&Mレコードと契約し、1992年、フィル・コリンズのプロデューサーヒュー・パジャムによるデビュー・アルバムに予定された曲のレコーディングを行なった。当初は、1992年9月22日に自身の名を冠したアルバムが発売されるはずだったが、レコード会社から発売を無期延期される[13]。しかしながらこのアルバムの宣伝活動に使われるはずであった複製版が出版業者を通じて数多く出回った。このアルバムはファイル共有ソフトやファン・トレーディングなどで現在も広く出回っている。彼女の曲はセリーヌ・ディオン、ティナ・ターナー、ワイノナ・ジャッドなど多くの著名なアーティストによりレコーディングされた。 当時彼女はケヴィン・ギルバートと交際を始め、彼の所属する即興音楽グループ「チューズデイ・ミュージック・クラブ」に彼女も参加するようになった[14]。1993年、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このグループのメンバーのギルバート、デイヴィッド・ベアウォルド
1990年代
1992年: デビュー・アルバムの頓挫
1993年?1997年: 世界規模の成功
1993年、『ローリング・ストーン』誌の新人部門に登場。『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』の曲は3枚目のシングル「さらばラス・ヴェガス」を含み、ほとんど友人達により書かれたものである。1994年秋に「オール・アイ・ワナ・ドゥ」が予期せぬ大ヒットとなるまでこのアルバムはゆっくりと売り上げを伸ばしていった。後に彼女が『ピープル』誌に語ったところによると、ロサンゼルスの辺りの古本屋で古い詩集を見つけ、曲の歌詞に使ったそうである[16]。シングルカットされた「ストロング・イナフ」はビルボード5位、「キャント・クライ・エニーモア」は同40位となった[17]。このアルバムは、1990年代のアメリカとイギリスで700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1995年の第37回グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の3冠を受賞した[12]。1994年と1997年にウッドストック・フェスティバル、1997年にAnother Roadside Attraction に出演[18]。
1995年のドン・ヘンリーのアルバム『アクチュアル・マイルス ドン・ヘンリー・グレイテスト・ヒッツ』の収録曲『ガーデン・オブ・アラー』にバック・ヴォーカルとして参加。1995年に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。
次いで1996年に自身の名を冠したセカンド・アルバム『シェリル・クロウ』を発表[19]。このアルバムには妊娠中絶、ホームレス、核戦争についての曲が含まれている。このアルバムからの1枚目のシングル『イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー』は主にラジオでも大ヒットを記録し、1997年の第39回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞、最優秀ロック・アルバム賞の二部門を受賞した[20]。このアルバムからの他のシングルは『A Change Would Do You Good 』、『Home 』、『エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード』である。彼女は自身でこのアルバムをプロデュースした。このアルバム収録曲『Love Is A Good Thing 』の歌詞で、ウォルマートで子供が簡単に銃を手に入れることができると思わせる歌詞があることからウォルマートでのこのアルバムの販売を禁止した[21]。1997年、映画『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』のテーマ曲に楽曲を提供。