シェイクスピア
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またシェイクスピアは同時代の劇作家クリストファー・マーロウ[注釈 5]の文体を借用していると考えられることもある[35]。シェイクスピアの作品の中でも、劇作法、テーマ、舞台設定などの点からみてもっとも独創的といえるのは『テンペスト』である[36]

シェイクスピアの戯曲のいくつかは四折判の単行本として刊行されているが、多くの作品はファースト・フォリオに収録されるまで未刊行のままであった。シェイクスピアの作品を悲劇・喜劇・史劇に分類する伝統的な区分は、このファースト・フォリオの構成に従ったものである。喜劇的な筋書きでありながらも倫理的な悩ましい問いかけを提示するような複雑な作品もいくつか存在するが、フレデリック・ボアズやW.W.ローレンス、E.M.W.ティリヤードといった近代の批評家は、これらの作品に「問題劇」ないし悲喜劇の用語を与えている。後期の喜劇作品に「ロマンス劇」の語が適用されることもある。

シェイクスピアの戯曲の正確な創作年代については多くの議論がある。またシェイクスピアが生前に自作の信頼できる版を刊行しなかったという事実により、シェイクスピア作品の多くがはらんでいるテキスト上の問題が起きている。すなわち、すべての作品の刊本の版ごとに、多かれ少なかれ原文に異同のある異本が存在しているのである(このため、シェイクスピアが実際に書いた部分と別人による改変を特定ないし推定する本文批評が現代の研究者や編者にとって大きな問題となる)。ベン・ジョンソンのような他の劇作家と異なり、シェイクスピアは自作の定本を刊行することに関心を払っていなかったと考えられる[37]。こうした異本は、底本がシェイクスピアの自筆原稿であったか筆耕者の手を経た清書稿であったかにかかわらず、印刷業者のミスや植字工の誤読、原稿の読み違えで正しい順に詩行が配置されなかったことなどにより生じる[38]

一つの作品について極端に異なる二つのバージョンが存在する場合に問題は深刻になる。バッド・クォートと呼ばれる、ズタズタに切り刻まれた粗悪な刊本が数多く存在するが、これらはファースト・フォリオの編者が「盗用された海賊版」と非難しているものと考えられる[39]。それほど台無しにされたわけではない異本については、一概に無視できないものがある。たとえば、『リア王』の四折判と二折判には大きな違いが見られる。伝統的に、編者は両方のバージョンからすべての場面を取り入れて融合することにしている。しかし、マドレーン・ドーラン(英語版)以降、両方を別物とみなし、『リア王』という1つの戯曲に2つのバージョンの存在を認めるという動きもある。ゲイリー・テイラーとロジャー・ウォーレンは共著"The Division of the Kingdom"において、『リア王』にみられるような異同は、1つのテキストが異なる形で刊行されたのではなく、テキスト自体が異なる形で2つ存在していたためだという説を提唱している[40]。この仮説は一般に広く受け入れられてはいないが、その後数十年間の批評や編集の指針に影響を与えており、ケンブリッジ版とオックスフォード版の全集では、『リア王』の四折判と二折判のテキストが両方とも別個に収録されている。
作風・執筆歴

シェイクスピアの劇作家としての活動は1592年ごろから始まる。フィリップ・ヘンズロウの日記(当時の劇壇の事情を知る重要な資料として知られる)に『ヘンリー六世 第1部』と思われる戯曲が1592年3月から翌年1月にかけて15回上演されたという記録が残っているほか、同じく1592年にはロバート・グリーンの著書に新進劇作家シェイクスピアへの諷刺と思われる記述がある。これらが劇作家としてのシェイクスピアに関する最初の記録である。

最初期の史劇『ヘンリー六世』三部作(1590年 - 1592年)を皮切りに、『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』などを発表し、当代随一の劇作家としての地歩を固める。これらの初期作品は、生硬な史劇と軽快な喜劇に分類される。

ペストの流行により劇場が一時閉鎖された時期には詩作にも手を染め、『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)や『ルークリース陵辱』(1594年)などを刊行し、詩人としての天分も開花させた。1609年に刊行された『ソネット集』もこの時期に執筆されたと推定されている。1595年の悲劇『ロミオとジュリエット』以後、『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』といった喜劇を発表。これら中期の作品は円熟味を増し、『ヘンリー四世』二部作などの史劇には登場人物フォルスタッフを中心とした滑稽味が加わり、逆に喜劇作品においては諷刺や諧謔の色づけがなされるなど、作風は複眼的な独特のものとなっていく。

1599年に『ジュリアス・シーザー』を発表したが、このころから次第に軽やかさが影を潜めていったのが後期作品の特色である。1600年代初頭の四大悲劇と言われる『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』では、人間の実存的な葛藤を力強く描き出した。また、同じころに書いた『終わりよければ全てよし』『尺には尺を』などの作品は、喜劇作品でありながらも人間と社会との矛盾や人間心理の不可解さといった要素が加わり、悲劇にも劣らぬ重さや暗さを持つため、19世紀以降は「問題劇」と呼ばれている。

アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』などのあと、1610年前後から書くようになった晩期の作品は「ロマンス劇」と呼ばれる。『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』の4作品がこれにあたり、登場人物たちの長い離別と再会といったプロットのほかに、超現実的な劇作法が特徴である。長らく荒唐無稽な作品として軽視されていたが、20世紀以降再評価されるようになった。


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