シウダー・フアレス(Ciudad Juarez)は、メキシコ北部のチワワ州の都市。人口は約150万人(2020年)で州内最大である。アメリカ=メキシコ国境に接している。旧名はエル・パソ・デル・ノルテ(El Paso del Norte)。
1863年、メキシコシティがフランス軍に制圧されたため、当時のメキシコの大統領、ベニート・フアレス率いる共和党が一時的にエルパソ・デル・ノルテに移住し、フランス軍との侵略戦争(メキシコ出兵)に抵抗した。その行為に敬意を表す形で1888年にエルパソ・デル・ノルテはシウダー・フアレスに改称された。
一時期非常に治安が悪化したが既に収束している[2]。
歴史詳細は「エルパソの歴史(英語版)」を参照
スペイン領詳細は「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」および「ヌエバ・エスパーニャ」を参照
1659年、ロッキー山脈へのルートを開拓していたスペイン人探検家でフランシスコ会のフライ(スペイン語版、英語版)(Fray)、ガルシーア・デ・サン・フランシスコ(Garcia de San Francisco)によって「エル・パソ・デル・ノルテ」の町が造られた。
1680年、プエブロの反乱。 1810年、ヌエバ・エスパーニャからの独立を目指したメキシコ独立革命(1810年-1821年)が始まる。
メキシコ独立
1848年、米墨戦争(1846年 - 1848年)の講和条約、グアダルーペ・イダルゴ条約によってリオ・グランデ川を米墨国境とすることが確定した。
1850年3月、アメリカ合衆国領のリオ・グランデ川北岸はエルパソ郡エルパソと呼ばれるようになった。
1888年、メキシコ領の南岸「エル・パソ・デル・ノルテ」は初代大統領ベニート・フアレスにちなんでシウダー・フアレス(Ciudad Juarez)と改称。 マキラドーラの発達とともに治安が悪化、特に女性に対する暴行事件が1990年代以降に急増し、女性殺害 2005年には麻薬カルテルのシナロア・カルテルとフアレス・カルテルの間の抗争が勃発、2008年以降は急速に激化し、治安悪化のため駐留した連邦軍や連邦警察との間で内戦状況を呈していた(詳しくはメキシコ麻薬戦争)。2016年時点では既に収束しているが安全になったわけではない[2]。 2023年1月1日、市内の州立刑務所が武装集団の襲撃を受け警備員ら14人が死亡する一方、受刑者24人が脱走した。刑務所内では暴動も発生した[4]。 シウダー・フアレスは、北米最大の砂漠であるチワワ砂漠の中にある。街の南には、大規模なサマラユーカ砂丘、保護地域がある。この環境は、極端な天候にシウダー・フアレスの特徴、特に風が頻繁に市内で生成近くに砂漠の砂嵐と一緒にソースを記録した。 市の北側にメキシコとアメリカの国境(アメリカ=メキシコ国境)でもあるリオ・グランデ川が流れている。川を渡ればアメリカに入国することになり、テキサス州最西部の町エルパソにたどり着く。シウダー・フアレスにはエルパソと結ぶ4つの橋があり、2008年におよそ22,958,472人の移民がこれらの橋を利用して2つの都市を行き来したといわれている。シウダー・フアレスとエルパソを合わせば、人口は約250万人となり、アメリカとメキシコの国境地帯の都市で2番目の大きさである。
メキシコ革命詳細は「メキシコ革命」および「en:Border War (1910?19)」を参照「es:Ataque del Partido Liberal a Ciudad Juarez」、「en:Battle of Ciudad Juarez (1911)」、「en:Battle of Ciudad Juarez (1919)」、および「en:Treaty of Ciudad Juarez」も参照
20世紀
21世紀
地理
国境の町
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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