ザ_コカ・コーラ_カンパニー
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技術顧問

世界恐慌の打撃は軽微に済み、禁酒法の廃止も左程業績に響かなかったものの、1930年代に入るとペプシコーラが低価格路線で販売攻勢に打って出てコカ・コーラの地盤を脅かし始めた。

第二次世界大戦が始まると、ロバートは以下の様に宣言し、戦争への協力姿勢を示した。我々は、軍服を着けた全ての兵士が何処で戦っていようとも、またわが社にどれだけの負担がかかろうと、5セントの瓶詰めコカ・コーラを買えるようにする。

加えてロビー活動を熱心に行い、その結果コカ・コーラは「兵士たちの士気高揚に果たす重要な役割」を持つ軍需品として認可。砂糖の配給制も免除される特典も受けた。さらに、政府の出資で世界60ヶ所にボトリング工場が建設され、そこで働くスタッフは技術顧問 (TO) として軍人同様の待遇が与えられた。

当然のことながらアメリカ軍の指揮官にも、コカ・コーラは人気の的だった。中でも連合軍の最高司令官であったドワイト・D・アイゼンハワーは、1943年6月29日ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長に以下の電報を送っている。300万本の瓶詰めコカ・コーラ、月にその倍は生産できるボトリング装置一式、洗浄機および栓を至急送られたし

マーシャルはこの電報を受けて、海外の駐留部隊に必要且つ便利な物品を充分な量入手させよと命令書を発している。連合国の一つ、ソビエト連邦の指揮官だったゲオルギー・ジューコフも、コカ・コーラが大のお気に入りだった。

指揮官ばかりでなく前線で戦う兵卒にも、コカ・コーラは大人気だった。イタリア戦線ではコカ・コーラ1瓶が4,000ドルの値をつけたこともありさらに、コカ・コーラの空き瓶は、電気絶縁体の代用、戦闘機のタイヤをパンクさせるための"爆弾"、非常食とするウミガメを捕るための武器、小便器として使われたりもした。瓶を詰めるケースは郵便箱や道具箱として重宝したし、コカ・コーラで歯磨きをする兵士もいれば、恋人にコカ・コーラでを洗うのを薦める者もいたほどである。

極めつけは、ある技術顧問がカンヌの将校クラブでカトリック教会の神父相手にコカ・コーラで法王に祝福を受けて貰えば?と冗談交じりに話したところ、バルジの戦いで神父が聖水の代わりにコカ・コーラで洗礼を施していたのを目にしたというエピソードであろう。
アメリカ資本主義の象徴

第二次世界大戦で、アメリカ軍の軍需品として世界に広まったコカ・コーラは、冷戦の最中には資本主義アメリカ帝国の象徴として扱われることになった。特に海外進出の際に、現地でパートナーとした企業の多くが、有力者や大地主・財閥、時にはアメリカ資本の多国籍企業だったりしたことが、そのイメージに拍車をかけることになった。

そのため、資本主義陣営=西側への反対が、しばしばコカ・コーラへの攻撃と結びつくことも多かった。特にヨーロッパでは、マーシャル・プランに反対する左翼が、コカ・コーラ排斥の先頭に立ち、時として民族資本の飲料メーカーや酒造メーカーがこれを後押しするという現象が目立った。

東側共産主義地域への進出でも、ペプシコに後れを取った。ソビエト社会主義共和国連邦への進出は1978年まで待たねばならず、輸出も困難であった。前述のジューコフは、コカ・コーラを密かに飲みたいと思っており、マーク・W・クラーク将軍を介して無色透明のコカ・コーラ(ホワイトコーク)を特別注文して送らせている。アラブ・ボイコットの影響(イスラエルに真っ先に工場を建設したことがアラブ諸国の怒りを買ったことによる)で、中東でも進出が進まなかった。逆に中華人民共和国へは、1978年にアメリカ企業として初めて進出を果たし、3年間市場を独占した。
1970年代以降詳細は「カンザス計画」および「コーラ戦争」を参照

1970年代半ば以降、ペプシがコカ・コーラとの比較広告によって売り上げを伸ばし、各種の市場調査や味覚調査でもペプシに軍配があがるなど、コカ・コーラの先行きには不安が付きまとっていた。

1981年にコカ・コーラ社の会長兼CEOに就任したのはロベルト・ゴイズエタである。珍しい姓の通り、バスク地方出身の祖先を持つスペイン系キューバ人で、上流階級の家庭に生まれ、米国に留学中に理学博士の学位を得た。非常な辣腕で、会長に就任時のコカ社の時価総額は40億ドル。15年後の引退時に1500億ドルまで拡大させた。これはアメリカでは二番目に高い数字だった。有名経済雑誌は『全米でもっとも尊敬される経営者』に選んでいる。

ゴイズエタとCOOだったドン・キーオは、カンザス計画と呼ばれる秘密計画を実行。発売100周年の1986年を前にコカ・コーラの味を根本的に変えるという挙に出た。当時臨終の淵にあったロバート・ウッドラフを説得して綿密な市場調査と広告戦略を駆使、1985年4月24日にニュー・コークとして発売した。

しかし、ニュー・コークは消費者の不評を買い、コカ・コーラ社には抗議の手紙や電話が殺到する事態に。わずか2カ月半後の7月10日には、元のコカ・コーラをコカ・コーラ・クラシックとして再び販売せざるを得なくなっていった。

『コカ・コーラ帝国の興亡』の著者、マーク・ベンダグラストは「ニュー・コーク」の失敗を以下のようにまとめている。ニュー・コークの大失敗の結果、元のコークは400万ドル以上にも相当する宣伝効果に浴し、その効果と比べればコカ・コーラ社の下手な広告は役立たずも同然だった。今や由緒あるコーラは復活し、再びアメリカ一の清涼飲料の地位を取り戻した。ゴイズエタとキーオは図らずも、このマーケティングの失敗を見事なビジネス上の手柄に変えたのだった。 ? マーク・ベンダグラスト『コカ・コーラ帝国の興亡』

1982年コロンビア ピクチャーズを6億9200万ドルで買収。1989年にはソニーに48億ドルで売却した。

2018年8月、イギリスの大手コーヒーチェーンであるコスタコーヒーを、ウィットブレッドから買収した[6]
「ウイグル人強制労働防止法」に反対するロビー活動


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