1982年から1983年にかけて、ザ・レヴォリューションという名が知られるようになる直前のメンバーは以下の通りであった。
デズ・ディッカーソン(Dez Dickerson) - ギター
ブラウンマーク(Brown Mark) - ベース
ボビー・Z(Bobby Z.) - ドラムス、パーカッション
リサ・コールマン(Lisa Coleman) - キーボード
マット・フィンク(ドクター・フィンク)(Matt Fink) - キーボード
1982年に発表されたプリンスにとって4枚目のアルバム『1999』のカバーには、「プリンス・アンド・ザ・レヴォリューション」と記されている。バンドのメンバーは、本当にバンド名が付くのか気になっていたが、プリンスは、グループを積極的にザ・レヴォリューションと呼ぶことは躊躇していた。その背景には、デズ・ディッカーソンがバンドを辞めたいと言い出したことがあった。1982年から1983年にかけてのツアー「1999 Tour」の終了後、ディッカーソンは信仰上の事情で脱退し、リサの幼なじみだったウェンディ・メルヴォワン(Wendy Melvoin)が代わって参加した。プリンスはディッカーソンに、あと3年はバンドにいてほしいと頼んだが、ディッカーソンはそこまで関わっていく意志がなかった。プリンスは、ディッカーソンとの契約を破棄せずに(ディッカーソンの脱退にもかかわらず)一定の賃金支払いを続けると約束し、その通り実行した。ディッカーソンは、その後、キリスト教関係の独立系レコード・レーベル Star Song で働くことになった。ウェンディ&リサ(Wendy & Lisa)のコンビは、その後、プリンスと強い結び付きをもち、バンドの解散までプリンスの生み出す音楽に大きな影響を与え続けた。それまでのR&B/ファンク色が強かったプリンスの表現は、ロック、ポップ、クラシックの要素を帯びて、より多様な姿をとるようになった。 プリンス&ザ・レヴォリューションの最も売れたアルバム『パープル・レイン』は、プリンス&ザ・レヴォリューション自身によるプロデュースで制作され、ビルボード誌のアルバム・チャートでは、ブルース・スプリングスティーンの『Born in the U.S.A.
プリンス&ザ・レヴォリューション
デビュー作『パープル・レイン』
楽曲「Purple Rain」は、第27回グラミー賞において、デュオ/グループ・ロック・パフォーマンス部門と映画・テレビサウンドトラック部門で最優秀賞となり、2つのグラミーを獲得した[6]。アルバム『パープル・レイン』は、24週にわたってチャートの首位に居座り、売上はアメリカ合衆国ではプラチナディスク13回分相当(1回分は100万枚)、カナダではプラチナディスク6回分相当(1回分は8万枚)、イギリスではプラチナディスク2回分相当(1回分は30万枚)に達した[4][7][8]。アルバム『パープル・レイン』で、ザ・レヴォリューションが初めて公式に登場した[9]。当時のバンドの構成は以下の通りであった。
プリンス(Prince) - リードボーカル/ギター/ピアノ
ウェンディ・メルヴォワン(Wendy Melvoin) - ギター/ボーカル
ブラウンマーク(Brown Mark) - ベース/ボーカル
リサ・コールマン(Lisa Coleman) - キーボード/ボーカル