1999年、インディーズのシンパシー・フォー・ザ・レコード・インダストリー(英語版)から1stアルバム『ザ・ホワイト・ストライプス』をリリース。
2000年、インディーズ2ndアルバム『デ・ステイル』をリリース。
2001年7月、インディーズ3rdアルバム『ホワイト・ブラッド・セルズ』をリリース。9月にはXLレコーディングスから同アルバムのイギリス盤が発売され[8]、まずイギリスで人気が広がる。2002年には『ホワイト・ブラッド・セルズ』がV2レコードから再発され、アメリカでもガレージロック・リバイバルの旗手として名を馳せる。レゴブロックを用いた「フェル・イン・ラブ・ウィズ・ア・ガール」(Fell in Love with a Girl) のプロモーションビデオも話題となった。2002年にフジ・ロック・フェスティバル出演のため来日。
2003年、4thアルバム『エレファント』をリリース。初の単独来日公演を行う。ジャック・ホワイトは同年の「ローリング・ストーン」誌で"The 100 Greatest Guitarists of All Time"の17位に選出される。
2004年、「セヴン・ネイション・アーミー」でグラミー賞ベスト・ロック・ソング賞(この曲は、サッカーW杯2006年ドイツ大会にて、優勝したイタリアチームが決勝戦終了後に合唱したことでも有名)、『エレファント』でベスト・オルタナティヴ・ロック・アルバム賞を受賞するなど、21世紀の初頭における最重要バンドの一つとしての地位を確固たるものとした。同年には再びフジ・ロック・フェスティバル出演のため来日している。
2005年6月、5thアルバム『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』をリリース。同月の24日から26日にイギリスで開催されたグラストンベリー・フェスティバルには、ヘッドライナーとして出演する[9]。
2006年に『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』で再びグラミー賞ベスト・オルタナティヴ・ロック・アルバム賞受賞。同年1月に2度目の単独来日公演を行った。
2008年2月、『イッキー・サンプ』で自身3度目のグラミー賞ベスト・オルタナティヴ・ロック・アルバム賞を受賞。
2010年3月、ドキュメンタリーフィルム『Under Great White Northern Lights』を発表。カナダ各地でのライブ(路線バス内・船上・ボウリング場・老人ホーム等でのライブ)を収めた映画。同フィルムに収録されている「1音だけのライブ (One Note Show)」はロック史上最も短いライブ(1秒弱)とされている。
2011年2月2日、HP上で、正式に解散すること、これ以上の新しいレコーディングやライヴ・パフォーマンスを行わないことを発表。
2020年、初のベストアルバムである「ザ・ホワイトストライプス グレイテストヒッツ」を発売することを発表。全26曲収録。これに伴い、YouTubeに「ball and biscuit」のライブ映像(2003年10月22日の来日公演より)が公開された。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
音楽性
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ジャック&メグ・ホワイト
ブルース、カントリー・ミュージック、ハードロックをベースにしたガレージロック。ギターとドラムだけというロックバンドとして最小と言える構成だが、その乏しさを全く感じさせない60年代 - 70年代のロックの初期衝動を彷彿させる激しいロックを奏でる。
音の柱は、原則的にボーカル・ギター・ドラムの3種で構成されている。ジャックはギター以外にオルガン、アナログシンセサイザー、ピアノやマリンバなどを演奏するマルチプレイヤーであり、元々はドラマーであった。映画「コールド マウンテン」では、ミュージシャン役でマンドリンの弾き語りを披露している。また、ライブにおいてギター、アナログシンセ、ボーカルの3要素を同時に演奏する能力を有している。ギタリストとしての評価は非常に高く、ジミー・ペイジはインタビューでジャックを近年のギタリストの中ではNo.1の存在であるとし、ジェフ・ベックも同様に高く評価している。
ジャックとは対照的にメグのドラミングスタイルは非常にシンプルなものである。映画『スクール・オブ・ロック』でネタにされるなど、彼女のドラマーとしての能力には懐疑的な声も存在する一方、デイヴ・グロールは「史上最高のドラマー」だとして最大級の賛辞を送っている[10]。