ザ・ストゥージズ
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ストゥージズ[注 1](The Stooges)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

1960年代末のガレージロックを代表するグループの一つ。フロントマン イギー・ポップの過激なパフォーマンスが特徴で、後のパンク/ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えた。

2010年ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第78位。
来歴
デビューからセカンド・アルバムまで(1967年 - 1970年)

1967年、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが[6]、後にザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味。

1969年、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケイルのプロデュースにより、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じエレクトラ・レコードに所属するMC5と並んでガレージ・ロック(オリジナル・パンク)の代表的存在と目される。

フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり[7]ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど[8]、身体を張ったパフォーマンスを展開した。

1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウス』を発表。同作では新たにサックスを加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、アルコール中毒になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。
ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年)創設者イギー・ポップ(Vo)1973年

1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した[9]

1973年、『ロー・パワー』(旧邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。

1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージズは解散した。
解散後の動向

解散中の1975年、イギーはジェームズとともにレコーディングを行い、1977年に共同名義のイギー・ポップ&ジェームズ・ウィリアムソンとしてアルバム『キル・シティ』を発表[10]。また、ロン・アシュトンは、3代目ベーシストのジミー・レッカ、元MC5のドラマーであるデニス・トンプソンらとザ・ニュー・オーダーを結成し、アルバムを発表した[11]

1977年、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。

1997年、イギーがミックスをやり直した『ロー・パワー』を新たにリリースした。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、イギー自身が「どの曲も音が全部振り切れるくらいボリュームを上げて、すごく激しいミックスになった」と語る仕上がりになっている[12]
再結成 - メンバーの死去 - 活動停止(2003年 - 2016年)USAシカゴ公演(2007年)

2003年、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、29年ぶりに再結成。後に、スティーヴも参加。

2007年、34年ぶりのアルバム『ザ・ウィヤードネス』を発表。

2009年1月6日、ロン・アシュトンが死去(数日前に心臓発作で斃れたものと推定された)[13]

2010年、『ロックの殿堂』入りを果たす。授賞式でのプレゼンターはグリーン・デイビリー・ジョー・アームストロングが務めた。

2011年、スコットが脳卒中で倒れ離脱、代わりにイギーのソロ作品に共演経験のあるトビー・ダミットが参加。

2013年4月、6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表。亡くなったロンに代わり、ジェームズ・ウィリアムソンが約40年ぶりに復帰[14]

2014年3月16日、スコット・アシュトンが死去[15]

2015年10月11日、スティーヴ・マッケイが死去[16]

2016年にジェームズは、もはやバンドは機能していないことを明かし、解散宣言のない事実上の活動停止を公表。イギー自身はソロ活動にシフト。

2017年、ストゥージズのドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が公開[17]
メンバー
最終ラインナップ

イギー・ポップ(Iggy Pop) - ボーカル(1967年 - 1974年、2003年 - 2016年)

ジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson) - ギター(1970年 - 1974年、2009年 - 2016年)

マイク・ワット(Mike Watt) - ベース(2003年 - 2016年)

トビー・ダミット(Toby Dammit) ? ドラムス(2011年 - 2016年)


イギー・ポップ(Vo)2012年

ジェームズ・ウィリアムソン(G)2012年

マイク・ワット(B)2013年

スティーヴ・マッケイ(Sax)2014年

旧メンバー

ロン・アシュトン(Ron Asheton) - リードギター(1967年 - 1971年、2003年 - 2009年)、ベース(1972年 - 1974年)※2009年死去

スコット・アシュトン(Scott Asheton) - ドラムス(1967年 - 1974年、2003年 - 2011年)※2014年死去

デイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander) - ベース(1967年 - 1970年)※1975年死去

ビリー・チータム(Bill Cheatham) - ギター(1970年)※1990年代死去

ジーク・ゼトナー(Zeke Zettner) - ベース(1970年)※1973年死去

スティーヴ・マッケイ(Steve Mackay) - サックス(1970年、2003年 - 2015年)※2015年死去

ジミー・レッカ(Jimmy Recca) - ベース(1971年)

ワーレン・クレイン(Tornado Turner) ? ギター(1973年)


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