ザ・ジャム
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『ザ・モダン・ワールド』を出した後、俺はこのまま成り行きにまかせるか、それとも抗うか自問自答してたんだ」と語っている[5]。モッズ・リヴァイヴァルの立役者ともなった『オール・モッド・コンズ』はファン、ジャーナリズムに高く支持されバンドの最初のピークとなり、これを機にジャムの快進撃が始まる。

ヒット曲「イートン・ライフルズ(The Eton Rifles)」を含む1979年発表の4thアルバム『セッティング・サンズ』では、「電話のあの娘(Girl on the Phone)」などのストレートなジャムサウンドに加え、ヘビーな展開を見せる「プライベート・ヘル(Private Hell)」や曲調の変化に富んだ「少年の兵士(Little Boy Soldier)」、ウェラーのロマンチストとしての一面を覗かせる「不毛の荒野(Wasteland)」など充実した楽曲が多く、3rdアルバムと並ぶ傑作とファンの呼び声も高い。同年の英音楽誌『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』でのリーダーズポールでは、ベストバンド、ベストアルバム(『セッティング・サンズ』)、各プレイヤー等の主要部門を独占、英国での人気が絶大なものであることを世に知らしめた。以降、解散まで同誌でのベストバンドの座は譲らなかった。

1980年にはシングル「ゴーイング・アンダーグラウンド(Going Underground)」を発表。元々はカップリングの「ドリームズ・オブ・チルドレン(Dreams of Children)」と両A面の予定だったが、レコードプレスの間違いで「ゴーイング?」がA面扱いとなったこのシングルは英国で初登場 No.1 を獲得。後のライブアルバム『ディグ・ザ・ニュー・ブリード(Dig the New Breed)』でも素晴らしい演奏を聞かせる両曲は、今もジャムの楽曲中で人気が高い。この年には待望の初来日公演を果たしている(来日は翌1981年1982年の計3回)。同年発表された5thアルバム『サウンド・アフェクツ』では先の「ドリームズ?」でもその予兆が見られたサイケデリックな要素等、さまざまな音楽を取り入れた実験性、重厚な音作りを見せる。シングルカットされた「スタート!(Start!)」はビートルズのアルバム『リボルバー』収録曲「タックスマン」を連想させるベースラインで[6]、ウェラー自身は『サウンド・アフェクツ』に関して、『リボルバー』とマイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール』を融合した作風と説明している[7]。また、収録された「ザッツ・エンターテインメント」はファンの人気も高く、ウェラー自身も後のソロキャリアでも取り上げる程の代表曲の一つとなった。この曲はザ・スミス解散後のモリッシー等にカバーされている。

1982年、結果的にスタジオ盤ではラストとなる『ザ・ギフト』を発表。ホーンセクションの導入、ファンク、カリプソ等の要素を取り入れ音楽性の振幅はさらに広くなり、モータウン調の「悪意という名の町(Town Called Malice)」はシングルカットされ No.1 となる。また、このアルバムではフォクストンの活躍が目覚しく、ファンクに傾倒したグルーヴィーなベースを聴かせるほか、自らも「サーカス(Circus)」というファンキーなインストゥルメンタル曲を提供しアルバムの方向性を特徴付ける貢献をしている。こと、バンドの音楽的なピークとしてこのアルバムをベストにあげるファンも多い。また、このアルバムでのブラックミュージック寄りの音作りは後のスタイル・カウンシルへの先鞭ともなる。

しかし、音楽的には充実期を迎えていたものの、ウェラーは「ザ・ジャム」という枠組みの中での活動に終止符を打つ事を選び、「自分たちの成し遂げた事に意味を持たせたい」というコメントと共に同年10月に突如、解散を宣言した。間髪を容れず発表されたラストシングル「ビート・サレンダー(The Beat Surrender)」はまたも初登場 No.1を獲得した。英国では未だ絶大な支持を得ていたにもかかわらず、同年12月11日のブライトンでのラストギグを最後に、バンドは幕を降ろした[8]

解散後、ウェラーは元マートン・パーカスのミック・タルボット(Mick Talbot / Key)と新ユニット「スタイル・カウンシル(The Style Council)」を結成。そしてブルース・フォクストンは、元ビッグ・カントリーのマーク・ブレゼジッキーと元ザ・フーピート・タウンゼントの弟、サイモン・タウンゼントとでカスバ・クラブを結成。新たな道を歩むことになった。

ジャムはよくパンク・ロックに分類される事が多く、当時ウェラーも「セックス・ピストルズにインスパイアされた」と語りデビュー当時の作風にはパンクの影響が色濃かったが、ウェラー自身は元々スティーヴ・マリオットザ・フー、更にモータウンスタックスといったR&Bの大ファンであり、ファッションにしても細身のスーツ+ネクタイからカラフルなシャツ、スカーフといったパンクとは異なるものをウェラーは当時から(スタカンの前から)スタイリッシュに着こなしていた。そういう意味ではモッズというべきで、モッズを意識した作品を作り続けたことからモッズフリークからは「モッド・ファーザー」とも呼ばれている。一方で、ワーキングクラス出身のリアリティを見せるシリアスな歌詞と時々織り込まれるユーモア、インタビューでの政治的な発言とその裏腹のピュアネス、何よりそのソリッドでハードなジャムサウンドから、やはり彼らはパンク/ニュー・ウェイヴの中心的存在であり、そのようなムーブメント、カテゴリを飛び越え、当時のイギリスの普通の若者達から絶大な支持を受けた特異な存在であった。

2007年、デビュー30周年を機に、ポール・ウェラー抜きで「From The Jam」名義の再結成ツアーが行われた。2010年に発表されたポール・ウェラーのソロ・アルバム『ウェイク・アップ・ザ・ネイション』では、ウェラーとブルース・フォクストンが、ザ・ジャム解散から28年ぶりに共演している。
メンバー

ポール・ウェラー(Paul Weller、1958年5月25日 - )(66歳) - ボーカルギター

ブルース・フォクストン(Bruce Foxton、1955年9月1日 - )(68歳) - ベース

リック・バックラー(Rick Buckler、1955年12月6日 - )(68歳) - ドラムス

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アルバム


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