ザ・クラッシュ
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2002年11月に、ロックの殿堂入りが発表された。新たに殿堂入りしたミュージシャンは授賞式で数曲演奏するのが慣例であり、クラッシュもストラマー、ジョーンズ、シムノン、ヒードンの4人で再結成することが検討されたが、シムノンが「チケットが2,500ドルもするような、普通のファンが来られない場所で再結成するのは嫌だ」と拒否。

シムノンには代理を立てる方向で[注 2]調整が進められていたがその矢先にストラマーが、2002年12月22日に、サマセット州ブルームフィールドの自宅で心臓発作により死去[10]。結局、再結成は実現しなかったが、残されたメンバーは「再結成しなくて良かった」と後に語っている[11]

翌年3月の授賞式には、ジョーンズとシムノン、テリー・チャイムズが出席した[12]。プレゼンターは、U2ジ・エッジ
政治的スタンス

クラッシュは後期から音楽性の幅を広げたが、同時に政治思想を明確にしたバンドだった。ストラマーとジョーンズによって書かれた歌詞は、左翼的政治主張を打ち出したもので、彼らの楽曲は社会腐敗、失業問題人種差別警察の横暴、政治的・社会的抑圧や、サッチャー新自由主義に対して強烈な批判を加えた。また、彼は「アンチ・ナチ・リーグ」や「ロック・アゲインスト・レイシズム」といった活動へも積極的に参加しパンク・ロックを越えた社会運動を生み出していった。約10万人が参加したロック・アゲインスト・レイシズム運動のデモ行進と音楽フェスティバルに、トム・ロビンソンシャム69や、レゲエ・アーティストのスティール・パルスデニス・ボーヴェルらと出演した[13]

ロンドンでは、英連邦に所属した国々出身のマイノリティが貧困の中に生活していた。ジャマイカからの移民はマイノリティの一つとして、ロンドン市内にコミュニティを形成した。不況、失業、社会の不平等を、音楽を通じて表現していたクラッシュは、日曜ごとに集まるカリブ系移民のコミュニティに連帯し、しばしば活動を共にした。この活動が、他のパンクバンドと同様、レゲエに傾倒していくきっかけになった。労働組合活動、市民運動、若者の政治運動と共に、民族的マイノリティの活動は警察権力からの弾圧を受けることがあり、クラッシュも弾圧の現場に弱者の味方として立ち合い、このことが国家との対決姿勢を明確にさせた。
メンバージョー・ストラマー(Vo/G) 1980年ミック・ジョーンズ(G/Vo) 1980年ポール・シムノン(B) 1980年

1976年

(6月?9/5)


ジョー・ストラマー ? ボーカルリズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

キース・レヴィン ? リード・ギター

ポール・シムノン ? ベース

テリー・チャイムズ ? ドラムス

1976年

(9/6?11月)

ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

テリー・チャイムズ ? ドラムス

1976年12月

?1977年1月

ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

ロブ・ハーパー ? ドラムス

1977年

(2月?4月)

ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

テリー・チャイムズ ? ドラムス

1977年5月

?1982年5/20


ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

トッパー・ヒードン ? ドラムス

1982年

(5/29?11/29)

ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

テリー・チャイムズ ? ドラムス

1983年

(4月?8月)

ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ミック・ジョーンズ ? リード・ギター、ボーカル

ポール・シムノン ? ベース

ピート・ハワード ? ドラムス

1983年12月

?1985年11月


ジョー・ストラマー ? ボーカル、リズム・ギター

ニック・シェパード ? ギター

ヴィンス・ホワイト ? ギター

ポール・シムノン ? ベース

ピート・ハワード ? ドラムス


影響

他のミュージシャンへの影響も非常に大きく、ジェネレーションXを始めとする同時代のパンク・ロックバンドのみならず、U2ニルヴァーナレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンレッド・ホット・チリ・ペッパーズグリーン・デイといったミュージシャンにも影響を与えている。また、ヒップホップミュージシャンのパブリック・エナミーも、大きな影響を受けたミュージシャンにクラッシュの名前を挙げている。更に、1980年代・90年代ガレージロックブームにも彼らの影響がある。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

タイトル発売年月日USチャートUKチャート
白い暴動 - The Clash1977年4月8日12612
動乱(獣を野に放て) - Give 'Em Enough Rope1978年11月10日1282
ロンドン・コーリング - London Calling1979年12月14日279
サンディニスタ! - Sandinista!1980年12月12日2419
コンバット・ロック - Combat Rock1982年5月14日72
カット・ザ・クラップ - Cut the Crap1985年11月4日8816

ライブ、コンピレーション・アルバム

タイトル発売年月日USチャートUKチャート
ブラック・マーケット・クラッシュ1980年--
ザ・ストーリー・オブ・ザ・クラッシュ(The Story of the Clash)1988年1427
クラッシュ・オン・ブロードウェイ(Clash on Broadway)1991年11月19日--
ザ・シングルズ1991年--
スーパー・ブラック・マーケット・クラッシュ1994年-74
ライヴ・クラッシュ1999年10月26日19313
エッセンシャル・クラッシュ2003年3月11日9918
ロンドン・コーリング 25周年記念エディション2004年9月21日-26
the CLASH SINGLES '77-'85 (Singles Box)2006年10月30日--
ザ・シングルズ20072007年6月4日--

EP

タイトル発売年月日USチャートUKチャート
キャピタル・レディオEP1977年4月1日--
コスト・オブ・リヴィングEP1979年5月11日-22

シングル
UKシングル

タイトル発売年月日収録アルバムUKチャート
白い暴動 (White Riot)1977年3月18日白い暴動38
リモート・コントロール (Remote Control)1977年5月13日白い暴動-
コンプリート・コントロール (Complete Control)1977年9月23日白い暴動(米)28


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