ザリム・シン
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102003年3月30日21:00-22:54114分テレビ朝日日曜洋画劇場テレビ朝日版13.6%[8]
112004年11月18日21:00-22:54114分テレビ東京木曜洋画劇場日本テレビ版9.1%[9]
122008年6月13日21:03-22:54111分日本テレビ金曜ロードショー14.2%[10]
132010年10月10日21:00-22:54114分テレビ朝日日曜洋画劇場ソフト版29.4%[11]
142017年11月4日21:00-23:10130分フジテレビ土曜プレミアム7.5%[12]
152021年9月24日21:00-23:19139分日本テレビ金曜ロードショー日本テレビ版8.8%〇[13]
162023年5月26日7.1%〇[14]

4K/Blu-ray/DVD

パラマウント ジャパンより4K Ultra HDBlu-ray DiscDVDが発売。NBCユニバーサルが販売。

4K Ultra HD、Blu-rayは村井国夫版(2.0ch)、内田直哉版(5.1ch)ともに収録。

DVDは村井国夫版(2.0ch)のみ収録。

4K

インディ・ジョーンズ 4ムービーコレクション 40th アニバーサリー・エディション 4K Ultra HD + ブルーレイ 品番:PJXF-1470 発売日:2021年6月23日

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 4K Ultra HD+ブルーレイ 品番:PJXF-1566 発売日:2023年6月7日



Blu-ray

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 品番:PBH-113995 発売日:2013年12月20日

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 スチールケース仕様(数量限定) 品番:PBXC-113995 発売日:2015年6月10日

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 品番:PJXF-1033 発売日:2016年7月22日


DVD

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 品番:PPA-113995 発売日:2008年6月6日

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 品番:PJBF-1099 発売日:2016年7月22日


製作
企画

前作である『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の製作時、既にジョージ・ルーカスシリーズを三部作にする構想を持ち、監督のスティーヴン・スピルバーグにもそれを伝えていた[15]

『レイダース』が成功を収めると、すぐにルーカスとスピルバーグが続投で続編製作が決定した。スピルバーグにとって、これはキャリアの中で続編を初めて監督するという新たな挑戦でもあった[16]

本作はルーカスの強い意向で、前作に比べ暗い作風にをとることとなった。ルーカスは後に「スター・ウォーズ三部作で『帝国の逆襲』が暗い第二幕だったように、それは暗い映画でなければならなかった」という考えがあったこと[17]や、離婚などで「気分が良くなかった」ことが原因であったことを明かしている[18]
脚本

ルーカスの「前と同じ悪役を使いたくない」との考えからナチスを敵にすることを避けるが、同じ時代設定でナチスを悪役として使わないようにする動機づけが思いつかなかったことから、物語が前作の前日譚と設定された[19]

ルーカスは当初、万里の長城でバイクに乗ったインディ・ジョーンズがチェイスするシーンを思いついたことで中国を舞台にしようとしたが、中国当局から撮影許可がおりなかったため、舞台を置き換えることとなる。最終的に、舞台はインドの寺院となった[17][20]

ルーカスは、この映画を本当に恐ろしいものにしようと児童奴隷制黒魔術人身御供などに専念するカルト宗教やタギーのアイデアを思いついた。スピルバーグは後に「ルーカスがアイデアを持ってきた。私の仕事と課題は、この物語の暗さとコメディのバランスを取ることだと思った」と語っている[21]

具体的なアイデアが固まった後、前作と同じローレンス・カスダンに脚本のオファーがいくが、カスダンは「アイデアがひどい」と感じたことでこれを辞退[20]。ルーカスは、『アメリカン・グラフィティ』で交友があったウィラード・ハイクグロリア・カッツを雇った。最初の会議でルーカスがアイデアを提示した後、ルーカス、スピルバーグ、ハイク、カッツで協力して大まかなスクリプトを作成した。

スピルバーグは、もともと前作のヒロインであるマリオン・レイヴンウッドを再登場させたいと考えていたが、この案は頓挫[15]。ルーカスは、インディの新たな相棒に処女の若い王女を登場させるアイデアを出すが、三人はそれに反対[22]。相棒は10歳の中国人の男の子に変更され[23]、インディの冒険に巻き込まれるマリオンに近い立ち位置を持つ女性を登場させることが決定した。また、ルーカスの「暗い作風にする」との意向から、前作に登場したサラーとマーカス・ブロディは未登場にすることが決まった。

アイデア会議の際、4人はカルトな要素を観客へどう魅せるか熱心に話したという。ハイクとカッツはこれに虎狩りを使うことを提案したが、スピルバーグの「虎狩りをするほど長くインドに滞在するつもりはない」との言葉で却下。彼らは最終的に、虫やサルの脳みそなどを食べる夕食のシーンを作ることを決定した。カッツは後に「スティーブとジョージは子供のようで、いかにグロテスクな場面を作ろうかと考えていた」と述べている[24]

1982年5月、ルーカスは、ハイクとカッツへ脚本に採用するようにと20ページの草稿を手渡した[17]。これは、トロッコの追跡や上海への旅、銃撃から身を守るためにゴングを使用するインディなど、前作でカットされた脚本内容を取り入れたものだった。その後もルーカスは、「脚本作成に役立つように」とテープに録音された会話を基にした500ページの草稿をハイクとカッツに送りつけており、第一稿はわずか6週間である1982年8月初旬に完成した。スピルバーグはこの頃、『ジョーズ』を監督したが続編である『ジョーズ2』では監督を辞退しており、ルーカスは「インディにも同じことをするのではないか」と心配していたらしく、カッツは後に「ルーカスは彼が監督することを必死に望んでいました。私たちは、彼を保持できるように、本当に、本当に速くそれを行うように多くのプレッシャーにさらされていました」と当時を回想している[25]

その後、9月までに第二稿が完成。プリプロダクション中に、ルーカスによる仮題「Temple of Death(直訳:死の神殿)」を「あまりにも暗すぎる」と考えたスピルバーグの提案で、正式題「Temple of Doom(直訳:破滅の神殿)」に変更された[23]。その後、1983年3月から4月にかけて、ハイクとカッツは最終的な撮影台本の書き直しを同時に行い、脚本が完成した[17]
キャスティング

ショート・ラウンドのキー・ホイ・クァンは、ロサンゼルスのチャイナタウンで行われたオーディションで抜擢された。当時のキーは難民出身だったことから英語があまり読めず、インディとポーカーをする場面など即興劇で撮影された[26]
撮影ロケでのスピルバーグとラトナム(1983年、スリランカ)

撮影は1983年4月に始まった[27]

ロケ撮影に関して、作中で描かれる奇妙な食文化や邪教信仰などインドヒンドゥー教に対する偏見や人種差別に関わる内容が多かったため、当初の予定地だった北インドアンベール城での撮影をインド政府に拒否された。このため、スリランカキャンディでの撮影を余儀なくされ、村人役のエキストラたちもシンハラ語を話している。

吊り橋の設置には、当時ロケ地付近でヴィクトリア・ダム建設のため滞在していたイギリス人のグループが雇われた[17]


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