ザクセン王国
ザクセン王国はハノーファー王国、ヘッセン選帝侯国、ナッサウ公国、フランクフルト・アム・マインなどのようにプロイセンに併合されることはなかったが、形式上の自立のみを残してプロイセンに従属し、北ドイツ連邦に加入した。さらに1871年の普仏戦争で北ドイツ連邦はドイツ帝国となり、ザクセン王ヨハンは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓った。第一次世界大戦中の1918年11月3日、キール軍港の反乱をきっかけにドイツ革命が勃発し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされた。ドイツ帝国は崩壊してヴァイマル共和政が成立、最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世もまた1918年11月13日に退位に追い込まれ、ザクセン自由州が成立した。
君主1900年のザクセン王国の版図
歴代国王
フリードリヒ・アウグスト1世 (1806年 - 1827年) - ワルシャワ公(1807年 - 1813年)
アントン (1827年 - 1836年)
フリードリヒ・アウグスト2世 (1836年 - 1854年)
ヨハン (1854年 - 1873年)
アルブレヒト (1873年 - 1902年)
ゲオルク (1902年 - 1904年)
フリードリヒ・アウグスト3世 (1904年 - 1918年) - 1918年退位、ザクセンは共和政へ移行。
系図(ザクセン選帝侯)
フリードリヒ・クリスティアン
フリードリヒ・アウグスト1世アントンマクシミリアン
フリードリヒ・アウグスト2世ヨハン
アルベルトゲオルク
フリードリヒ・アウグスト3世
関連項目
サクソン人
ザクセン公国
ザクセン君主一覧
ポーランド君主一覧
ワルシャワ公国
選帝侯
ザクセン国王の一覧
参考文献
G.シュミット著、松尾展成訳『近代ザクセン国制史』九州大学出版会
表
話
編
歴
ドイツ帝国の構成国
アンハルト公国
ヴァルデック侯国
ヴュルテンベルク王国
エルザス=ロートリンゲン
オルデンブルク大公国
ザクセン王国
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国
ザクセン=アルテンブルク公国
ザクセン=コーブルク=ゴータ公国
ザクセン=マイニンゲン公国
シャウムブルク=リッペ侯国
シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国
シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国
バーデン大公国
バイエルン王国
自由ハンザ都市ハンブルク
ブラウンシュヴァイク公国
自由ハンザ都市ブレーメン
プロイセン王国
ヘッセン大公国
メクレンブルク=シュヴェリーン大公国
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
リッペ侯国
自由ハンザ都市リューベック
ロイス=グライツ侯国
ロイス=ゲーラ侯国
カテゴリ
記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef