サンリオ
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そして3年後の2020年7月1日付で、辻信太郎は代表権のある会長に退き、31歳となった辻朋邦を社長へ就任させ「代替わり」を行った[7][13]
社名の由来

社名「サンリオ」の由来については諸説ある。

まず、公式サイトにもあるサンリオの公式な説明として、スペイン語で「聖なる河」を意味する San rio に由来するとしている[10][14]。文明の発祥が大河のほとりにあったように、文化を興す河となることを願ってつけたというものである。2000年に出版された『これがサンリオの秘密です』(扶桑社)で、創業者の辻自身が述べている。また、現行のロゴマーク(1997年制定)も河の水をイメージしてデザインされたものである[15]

しかし、かつては異なった説明がなされていた。『これがサンリオの秘密です』の21年前に出版された1979年上前淳一郎『サンリオの奇跡 ?世界制覇を夢見る男達』(PHP研究所)ではそういった説明は一切ない。同書は辻やサンリオ関係者に取材したものであるが、サンリオの「サンリ」は「山梨」の音読みであり、残るオは「オウ、オウ、オウ」という叫び声が聞く者を陶然とさせるからと説明した。また、『週刊現代』の1978年6月8日号に掲載されたサンリオに関するレポート記事では「サンリは山梨、オはなんとなく語呂がいいから」とされた。月刊誌『宝石』の1980年7月号の対談記事では、辻自身がそれを認める発言が存在するという。

「山梨の王になる」という思いでサンリオ(山梨王)としたという説については、1989年の山根一眞『変体少女文字の研究』(講談社)の中で辻の言葉として挙げられているが、『これがサンリオの秘密です』[11]、『サンリオの奇跡 ?世界制覇を夢見る男達』、西沢正史『サンリオ物語 こうして一つの企業は生まれた』(サンリオ出版、1990年)のいずれもが否定している。また、フジテレビトリビアの泉』にて、視聴者から『山梨の王→サンリオ』の説が投稿されたが、フジテレビはサンリオの現在の説明(前述の「聖なる河」説)を正しいものとして、この番組の1コーナーである『ガセビアの沼』にて「ガセ」として否定した[15]

サンリオの月刊紙『いちご新聞』においては、辻信太郎は「山梨王」ならぬ「いちごの王様」を自称している。

なお、『いちご新聞』2015年8月号によれば、サンリオの創業目的は「友情と助け合いによる世界平和の実現」、サンリオの事業目的は「お互いのコミュニケーションのきっかけとなる小さな贈り物」を作ることとされている。
地域連携

サンリオピューロランドが立地する東京都多摩市では、2002年度から「ハローキティにあえる街」として、サンリオと多摩市が連携してハローキティをはじめとしたサンリオキャラクターを活用した地域活性化に取り組んでいる[16][17]。コミュニティバス「多摩市ミニバス」にもサンリオラッピングの車両がある。またサンリオピューロランドの最寄り駅である多摩センター駅を走る京王電鉄および小田急電鉄もサンリオとタイアップし、多摩センター駅のサンリオキャラクター装飾を行っている。京王電鉄と京王電鉄バスではラッピング電車・バスも運行している。

創業地は東京都千代田区であるが[5]、株式会社サンリオへ商号変更後は品川区五反田大崎)に本社を置いている。その縁から2017年2月13日付で、品川区の「しながわ観光大使」に同社のキャラクター「シナモロール」が任命された[18]

沿革

(特に出典の明記のない参考文献:サンリオ『月刊いちご新聞』2010年8月号、2015年8月号。[要ページ番号])
山梨シルクセンター

1960年昭和35年)8月10日 - 創業者の辻信太郎が、株式会社山梨シルクセンターとして会社設立[3][5][19]。本社を東京都千代田区に置く[3][5]

1962年(昭和37年) - オリジナルデザイン第1号「いちご」を開発、ギフト商品を発売[5][19][6]。このいちご柄の雑貨は子供たちの間で人気を博し、これを契機に本格的にキャラクター商品開発を開始。

1965年(昭和40年) - 水森亜土デザインのキャラクター「亜土ネコミータン」を使用した陶磁器を発売、人気商品となる。

1966年(昭和41年)8月 - 詩集『愛する歌』を刊行し、出版物の企画・販売を開始[5][19]

1968年(昭和43年)11月 - サンリオ電機工業を設立。

1969年(昭和44年)12月11日 - サンリオグリーティング株式会社を設立[19][注釈 2]、グリーティングカードの企画・販売を開始[5][19]。アメリカのグリーティングカード大手「ホールマーク (Hall Mark) 」の日本代理店であるJPCの業務を引き継いでメッセージカードの販売を始める。

1970年(昭和45年)

五反田TOCビルショールーム「サンリオギャラリー」を開設(のちに同ビル内に本社を移転)。

キャラクター制作を、外部イラストレーターへの発注から自社制作へ変更。


1971年(昭和46年)

新宿駅東口の新宿アドホックビルに、直営店「ギフトゲート」第1号店(現「新宿ギフトゲート」)を開店[5][19]

1月 - サンリオリース株式会社を設立(現・清川商事株式会社)、社有車や直営店の店舗用品のリース・社員の持ち株管理を行う。


1972年(昭和47年)12月 - @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}サンリオ電機工業が山梨シルクセンターを合併。[要出典]

1970年代かつて本社を置いていた五反田TOCビル

1973年(昭和48年)

4月 - 株式会社サンリオへ商号変更、同時に品川区西五反田TOCビルへ本社を移転[5][19][6]

6月 - 本社のあるTOCビルに、レストラン1号店「サンリオ・サロン」を開店し、飲食業へ進出[5][19]

10月 - サンリオがサンリオグリーティング株式会社を吸収合併[5][19][注釈 3]


1974年(昭和49年)

自社キャラクター第1弾として「ハローキティ」、「パティ&ジミー」を制作[5][19]

5月 - サンリオエンタープライズ株式会社を設立(現・光南商事株式会社)、社員の持ち株管理を行う。

12月 - アメリカ・ハリウッドに「Sanrio Film Corporation of America」を設立(現「Sanrio,Inc.」)を設立[5][19]


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