1980年代以降、ヒップホップが一般的に認知され、R&Bやダンス、ポップスなど他のジャンルでもサンプリングは当たり前のように使われるようになり、もはや世界中のポピュラー音楽を語る上で外すことの出来ない音楽制作技法となっている。Billboard Hot 100チャートでもサンプリングが使われている曲がしばしば上位を占めている。
さらに、サンプリングが特別な技法とは言えなくなり、また法的リスクも高まるに連れ、音楽家達は「何をサンプリングするか」よりも「どのようにサンプリングするか」を工夫し始めた。1992年頃、DJプレミアはサンプリングした元ネタをさらに細かく切り刻み再構築する「チョップ (chop)」という技法を開発し、ギャング・スターやナズ、ジェルー・ダ・ダメイジャなどの作品群をプロデュースした。テイ・トウワやダフト・パンクは敢えて古い機材を使ったり、フィルターをかけたりして音質を劣化させた「ロー・ファイ」な音世界を作り上げた[4]。
1996年にDJシャドウが発表したアルバム『Endtroducing.....』は、2001年にギネス・ワールド・レコーズによって「初の完全なるサンプリングアルバム」と認定された[7]。E-mu systems SP-1200 P-MODELの平沢進を中心に1984年に結成した実験音楽サンプリングユニット『旬』の頃では、国内のサンプリングマシンが当時2000万円以上していた為、平沢がラジオカセットレコーダー2台を改造して自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」完成させ利用した[8]。いとうせいこうは早い段階でラップ、ヒップホップの楽曲を制作した。また、歌謡曲などの日本の音楽(邦楽)からサンプリングのネタ(「和モノ」)を発掘する動きも加速し、和田アキ子、かまやつひろし、いずみたくらの再評価につながった[9]。 1994年、スチャダラパーと小沢健二が共作した「今夜はブギー・バック」はアン・ヴォーグの「Give It up, Turn It Loose」のコード進行を引用し、EAST END×YURIが発表した「DA.YO.NE」はジョージ・ベンソンの「Turn Your Love Around」をサンプリングし、共にオリコンチャート最高15位[10]、最高7位のヒットを記録した[11]。 R&Bシンガーソングライターの加藤ミリヤはデビュー当初よりサンプリングの手法を取り入れており、2008年には自身のサンプリング楽曲のみを集めたベストアルバム『BEST DESTINY』をリリースしている。 2023年には米津玄師の『KICK BACK』が日本語詞楽曲として史上初となる米国レコード協会(RIAA)によるゴールド認定を受けたが[12]、本作のサンプリング引用元であるモーニング娘。の『そうだ! We're ALIVE』(導入部「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」、サビ「幸せになりたい、?たい」を引用)のオリジナル作者であるつんく♂のもとにも、ヒット達成表彰として記念ディスクがRIAAより贈呈された。[13] 邦楽からのサンプリング(和モノ)や有名曲からサンプリングの場合、途中の歌詞や曲の構成が原曲と全く異なっていてもしばしば単なる「ラップ調カバー曲」として紹介される[14]。安室奈美恵「60s 70s 80s」のように欧米のポピュラー音楽(洋楽)からのサンプリング楽曲でもカバー扱いの報道をされることもあり[15]、情報を提供する側もカバーとサンプリングの区別がついていない状況も散見される。 アメリカ合衆国の法律事典『Black's Law Dictionary』は「音楽におけるサンプリング」を「サウンド・レコーディングのごく一部を取って新しいレコーディングの一部としてその部分をデジタル処理によって利用するプロセス」と定義している[16]。 サンプリングによる音楽製作が一般化するにつれ、他方ではこれは著作権の侵害にあたるのではないかという声があがり始めた。 1991年、ヒップホップ・アーティスト、ビズ・マーキーはアルバム『I Need a Haircut』収録曲「Alone Again」でギルバート・オサリバンによる同名の楽曲をサンプリング使用した。これを知ったオサリバンは著作権の侵害としてビズと発売元のワーナー・ブラザースを告訴し、同年12月16日全面勝訴が確定、『I Need a Haircut』は小売店から回収された。これを通称「ビズ・マーキー事件」という[17]。なお、ビズは1993年に『All Samples Cleared』(訳:『全てのサンプリングが許可されました』)というアルバムを出し同事件を皮肉った。 また、1989年にヒップ・ハウス これらの判例からアーティストはサンプリングの使用に際して代価を支払うべきという判例が確定し、メジャーレーベルから発表されるサンプリング作品のほとんどは正規にライセンスされたものとなった。また、クラシック音楽などのパブリックドメイン音源からのサンプリングも多くなり、サンプリング用の著作権フリー音源集のCDなども発売されるようになった。 上記のような判例が出て以降、アメリカでは権利者に無断なサンプリングは違法とされたが、必ずしも全てのサンプリングが違法とされるわけではない。「法は些事に関せず」(デ・ミニミス ) の観点から、質的、または量的に些細なサンプリングは著作権侵害責任を問われないし[18]、「フェアユースの法理」(米国著作権法第107条)の観点から、元ネタとサンプリング楽曲の創作的表現における実質的類似性が立証されなければ著作権侵害責任は問われない[18][19][20]。 1993年11月9日、ロイ・オービソン「オー・プリティ・ウーマン」をサンプリングし、パロディの替え歌にしたツー・ライヴ・クルー「プリティ・ウーマン」を巡り、オービソンの権利を持つエイカフ=ローズ・ミュージック社がツー・ライブ・クルーを訴えたが、1994年3月7日に裁判所は「ツー・ライブ・クルーの曲は原曲のフェアユースを構成するパロディである」即ち、ツー・ライブ・クルーの曲によってオービソンの曲が売れなくなることはありえないとの判決を下して、ツー・ライブ・クルー側が勝訴した[19][20]。
日本のサンプリング
法律上の定義
サンプリングが違法とされた例ビズ・マーキー
サンプリングが合法とされた例