サンフランシスコ・ケーブルカー
[Wikipedia|▼Menu]
下は新品。中央は使用開始から1-2日後のもの。最上部は寿命末期のもの。

ケーブルそれ自身も下り坂で車両の速度を抑えるが、それ以外に車両にも3つの独立なブレーキ系が備えられている[8]

車輪ブレーキ:前後輪に金属製のブレーキシューがある。運転手がフットペダルで操作する。カリフォルニア・ストリート線で使われている両運転台の車両では、前後の運転台にペダルがあり、パウエル - ハイド線とパウエル - メイソン線で使われている片運転台の車両には前方(運転台)にフットペダルがある。片運転台の車両後部には、急勾配で車掌が後輪ブレーキを使用するためのブレーキレバーもある[8]


木製の路面ブレーキ:モントレーマツ(ラジアータパイン)で作られた木製のブロックが台車の中央部分にあり[9]、運転手がレバーを引くことで、煙が上がり木の焦げる匂いが漂うほど[8]強くブロックが路面に押し付けられる[10]。ブロックは消耗が激しく、3日程度で交換される[8]


非常ブレーキ:これは、車両床下の、ケーブル用の溝(track slot)の直上につり下げられた、厚さ3.8センチメートル (1.5 in)長さ46センチメートル (18 in)の鉄片である。他の方法では車両を止められなくなった時、運転手が非常レバーを引くと、この鉄片が溝に押し込まれる[8]。この楔は溝に非常にきつくはまりこんでしまうため、回復のためにガス溶断が必要になることもしばしば発生する[8]

電気系

ケーブルカーには給電システムがないため、前照灯や室内照明の電源としては、車庫で充電する大型の蓄電池を使用している。しかし、かつての白熱灯を使用した前照灯の光は弱く、他者に車両の接近を知らせるのが精一杯の明るさであり、照明としては役立たなかった[11]。そして、白熱灯はすぐに切れてしまい、電池の持ちも悪く、雨が降り寒く暗い夜などは一晩に10回以上も電池を交換しなければならなかった[11]蓄電池の性能が良くなり長持ちするようになってからも、GPSトラッキングシステムやカメラなどが搭載されるようになり、電池の消耗は続いた[11]。2018年に、前照灯と室内照明がLED電球に置き換えられたため、運転手の視認性が良くなり、電池の消耗も減った[11]
車庫・博物館・発電所ケーブルカー博物館の建物外観

ケーブルカーの車庫はWashington StreetとJackson Streetの間、Mason Streetと交わる辺りから少し上ったところにある。車両はJackson側から惰性で後ろ向きに入り、Washingtonの方へ惰性で出て行く形になる。片側向きの車両が正しい向きで出て行くことが出来るよう、車庫の中には4つ目のターンテーブルが備えられている。車両が車庫内を移動する際にはゴムタイヤを履いたトラクターによって動かされる。

車庫は発電所とケーブルカー博物館(英語版)の真上に位置している。博物館の入り口はWashingtonとMasonの交点付近である。博物館には古いケーブルカーが数両展示されており、その他小規模な展示や土産屋もある。特に興味深いのは発電所を直に見られるギャラリーと、WashingtonとMasonの交差点下にある、ケーブルの向きを変えて送り出すための巨大な滑車を見られるギャラリーであろう。
グリップマンと車掌

ケーブルカーの運転手は「グリップマン」として知られる。これは非常に経験がいる職業である。グリップレバーをゆっくり操作してケーブルを掴んだり離したりしなくてはならなかったり、ケーブルが交差するポイントやケーブルが路線に沿わない箇所で車両を惰性運転出来るよう、適当な箇所でケーブルを離さなくてはならなかったりする。また、ケーブルカーの物理的な制限をよく理解していない人が運転する車などとの衝突を予測し、事前に避けることも求められる。訓練コースに挑戦した者のうちのほんの一部(約30パーセント)のみしか試験に合格しないという。

2005年12月時点では女性の「グリップウーマン」は、1998年6月15日より務めたファニー・メイ・バーンズしかいたことがない。

グリップマンにはグリップとブレーキを操作するのに必要である非常に頑強な上半身、視覚と手の優れた協調関係、そして優れたバランス感覚が求められる。

グリップマンに加え、各車両には車掌が1人乗っている。車掌は運賃を回収し、乗降する乗客を管理し、坂を下っている時に後ろの車輪ブレーキを操作する仕事がある。ケーブルカーのステップ部分に立って乗る「ステップ乗車」の習慣があることから、乗客の管理は特に重要な仕事である。乗員の中には地域的に偉人とされる人もいる。
ベル鳴らしコンテスト

毎年7月の第2あるいは第3木曜日、6月の第2週から最終週まで行われる予選に引き続いて、ユニオンスクエアで乗員による「ベル鳴らしコンテスト」が行われる。予選は審査団が与えるポイントによって、どの出場者をユニオンスクエアで行われる決勝へ出場させるか決めるものである。

2009年6月9日に開かれた決勝戦には、ハワード・ウー、フランク・ウェア、そしてレオナルド・オーツの3人の乗員が進出した。この大会では、レオナルド・オーツが3回目の優勝を果たした。以下は過去の入賞者の記録である。

開催年優勝者2位3位
2000バイロン・コッブフランク・ウェアパトリック・G
2001バイロン・コッブケン・ルナルディフランク・ウェア
2002ケン・ルナルディバイロン・コッブロナルド・イースト
2003/10ロナルド・イーストケン・ルナルディウォルト・L・スコット
2003/12カール・ペインアル・キンタナピーター・ポルケヴィック
2004フランク・ウェアウォルター・L・スコットバイロン・コッブ
2005バイロン・コッブフランク・ウェアハワード・ウー
2006ケン・ルナルディバイロンウォリン・ロビンソン
2007レオナルド・オーツケン・ルナルディフランク・ウェア
2008レオナルド・オーツケン・ルナルディバイロン・コッブ
2009レオナルド・オーツフランク・ウェアハワード・ウー


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef