サンパウロ
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なお、ブラジル第2の都市であるリオデジャネイロからは約450km、外港であるサントスから約60kmの距離にある。

市の中心はセー広場とその周辺のセントロ地区であり、そのすぐ南に東洋人街(旧日本人街)であるリベルダーデが広がる。中心部より南西にはビジネスと金融の中心であるパウリスタ通りがある。

市域および周辺部の大サンパウロ都市圏生物多様性ホットスポットである大西洋岸森林に位置し、町並みの間に広大なグリーンベルトが広がり、その中にクロホエザル(英語版)、ピューマ、キマユメガネフクロウ(英語版)などが生息している。2017年にユネスコ生物圏保護区に指定された[6]
歴史「ブラジルの歴史」も参照
創設期サンパウロの創設(1913年、アントニオ・パレイアス画)サンパウロの衛星写真

サンパウロの起源は、インディオに対する布教のためポルトガルジョアン3世(在位1521年 - 1557年)の依頼で派遣されたイエズス会宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタ (Jose de Anchieta) が1554年にとして創設した宣教村である。その後人口はゆっくりと増大し、1565年にはサンパウロ市が創設された。しかしサンパウロは内陸に位置し、本国ポルトガルとの連絡に不便であったため、当時のブラジル開発の主力産業であったサトウキビ農園なども立地せず、開発が遅れていた。
成長期

サンパウロが成長をはじめるのは17世紀中頃に奥地探検隊バンデイランテス (Bandeirantes) の根拠地となってからである。バンデイランテスはサンパウロの奥地に建設されつつあったイエズス会の教化集落を襲撃し、住民であるインディオ奴隷として海岸部のサトウキビ農園へと売却して行ったが、その過程で奥地の開発が進められ、拠点としてサンパウロの重要性は徐々に上昇していった[7]。また、イエズス会はスペインの支援を受けていたが、バンデイランテスによって撤退を余儀なくされ、その土地にバンデイランテスが進出することによってポルトガルの勢力圏がトルデシリャス条約線を大きく越えて西へ伸びるきっかけとなった。

その後もバンデイランテスの活動は続き、1693年には現在のミナスジェライス州で金鉱を発見し、これがブラジルの発展のきっかけとなった。しかし、金を求めてやってきた山師(靴を履き脛あてをしている姿から、サンパウロ人からは足が羽毛に覆われている鳥にたとえエンボアーバと呼ばれた)たちと、金鉱を発見したサンパウロ市民との対立は悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発。サンパウロは敗れ、ミナスジェライス地方の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向は西へと向かい、ゴイアス州マトグロッソ州方面の開発拠点となっていった。1711年には正式に市に昇格した。
拡大期

1800年ごろにはサンパウロは国内でも大きな都市となっていたものの、この時期のサンパウロは未だ一地方都市に過ぎず、首都リオデジャネイロとは比べ物にならない小さな都市であった。この状況が一変するのは、1830年ごろにサンパウロ州内でのコーヒー栽培が始まってからである。当初リオデジャネイロ周辺で行われていたコーヒー栽培が、地力の消耗などにより衰退し、適地を求めたコーヒー農家がサンパウロ州北部や西部に入植し、コーヒー栽培を開始した。サンパウロの気候と土地にコーヒーは大変適しており、折からの産業革命によってヨーロッパでコーヒーの需要が爆発的に増加したことを受け、サンパウロはコーヒーの集散地として急速に発展を遂げた。

1867年にはサンパウロと外港サントスとの間に鉄道が開通し、コーヒー経済はさらに拡大していった。1872年にはサンパウロの人口は26000人であったが、1920年には58万人まで増加した。しかしコーヒーブームに沸くサンパウロでは、労働力が不足していた。奴隷制は未だ存続していたものの国内から厳しい批判に晒されていたし、奴隷労働は生産性が低く収益向上の足かせとなっていた。そこで他国からの移民の導入が検討され、1881年にはイタリアなどから移民が始まった。移民は船が着くサントスから列車でサンパウロまで移動し、ここで各地の農場へと割り振られていった。移民の中にはこの街にとどまるものもおり、また農場へ入植した者たちもいくらかはふたたびサンパウロへと移住してきた。こうして、サンパウロは移民が世界中から集まる街となり、国際化が進む。
カフェ・コン・レイテ期

1889年に奴隷解放からブラジル帝国が崩壊すると、新しく成立した政府は地方分権的なものとなり、各州中で最も経済的に有力なサンパウロ州の発言権は非常に増大した。1894年にはサンパウロ出身のプルデンテ・デ・モライス大統領が就任し、この年から1930年まで、サンパウロ州とミナスジェライス州が交互に大統領を出す「カフェ・コン・レイテ」期が続く。これにより政治力をも得たサンパウロの経済はさらに発展していった。

1908年には、最初の日本からの正式移民が笠戸丸サントス港に到着する。その後も続く日本人移民はサンパウロ州を中心に定着し、やがてサンパウロに日本人街を形成した。
護憲革命

カフェ・コン・レイテ期は1930年のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス政権成立によって崩壊するが、それを不満としたサンパウロは1932年に「護憲革命」を起こしたものの、サンパウロ以外の諸州の賛同を得られず失敗した。

この時期には世界恐慌の影響によりコーヒー価格も暴落し、コーヒー・ブームは終息したものの、第二次世界大戦後の1950年代に、開発路線をとるヴァルガス政権や以後の歴代政府によって経済開発がおこなわれ、ブラジル最大の産業都市としてのサンパウロの地位は揺らがなかった。
近年

1960年には、同年に首都の座を離れたリオデジャネイロの人口を超えブラジル最大の都市となった。「ブラジルの奇跡」と呼ばれた1960年代から1970年代初頭にかけての高度経済成長期には、日本や西ドイツアメリカなどからの外国企業の進出が相次いだ。

1970年3月11日、日本のサンパウロ総領事が誘拐される事件が発生。誘拐犯が大口総領事が公邸に戻る最中の車両を狙い、自動車で囲み拉致したもの。ブラジル政府が解決に乗り出し、誘拐犯の要求を受け入れたため、総領事は同年3月15日に解放された[8]

1974年2月1日、市内の25階建てのビルで火災が発生。死者・行方不明者174人以上[9]ジョエルマビル火災の項を参照のこと)。

1974年には地下鉄1号線が開通し、1985年には近郊にグアルーリョス国際空港が開港した。1980年代の経済停滞時期、2000年代以降においてもブラジルの経済を引っ張る存在である。
気候

気候は1年を通じて変化に富み、12月から2月ごろのは気温が摂氏30℃を越えることもある反面、6月から8月頃のは10℃以下に下がりがおりることもある。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。

サンパウロ(1961 - 1990年、最低気温記録は1931年以降)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)34.2
(93.6)34.6
(94.3)33.6
(92.5)31.3
(88.3)29.8
(85.6)28.9
(84)29.3
(84.7)33
(91)37.4
(99.3)34.4
(93.9)35.2
(95.4)35.7
(96.3)37.4
(99.3)
平均最高気温 °C (°F)27.4
(81.3)28
(82)27.3
(81.1)25.1
(77.2)23
(73)21.7
(71.1)21.8
(71.2)23.3
(73.9)23.9
(75)24.7
(76.5)25.9
(78.6)26.3
(79.3)24.5
(76.1)
日平均気温 °C (°F)22.2
(72)22.4
(72.3)21.7
(71.1)19.8
(67.6)17.6
(63.7)16.4
(61.5)15.8
(60.4)17.1
(62.8)17.8
(64)19
(66)20.3
(68.5)21.2
(70.2)18.5
(65.3)
平均最低気温 °C (°F)18.7
(65.7)18.8
(65.8)18.2
(64.8)16.3
(61.3)13.9
(57)12.3
(54.1)11.7
(53.1)12.8
(55)13.9
(57)15.3
(59.5)16.5
(61.7)17.8
(64)14.5
(58.1)
最低気温記録 °C (°F)10.2
(50.4)11.2
(52.2)10.9
(51.6)6
(43)5.2
(41.4)0.9
(33.6)0.2
(32.4)?2.2
(28)2.1
(35.8)4.2
(39.6)6.9
(44.4)7.3
(45.1)?2.2
(28)
降水量 mm (inch)240
(9.45)250
(9.84)160
(6.3)80
(3.15)70
(2.76)60
(2.36)40
(1.57)30
(1.18)70
(2.76)130
(5.12)140
(5.51)190
(7.48)1,460
(57.48)
平均降水日数181613996779111316134
平均月間日照時間148.8150.8145.7141.0151.9144.0164.3155.0126.0136.4144.0130.21,738.1
出典1:INMET ? Clima[10], Hong Kong Observatory[11] for data of sunshine hours


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