ライブには出演していたが、キー局でのテレビ出演がないまま年月は流れる。その頃の富澤は、自ら伊達をお笑いの世界に誘いながら一向に結果を出せていない事に負い目を感じ、コンビ解散や自殺まで考えていた[8]。気が付けば30歳になっていた2人は2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。そんな中でついにその実力がテレビ関係者の目に留まり、『エンタの神様』(日本テレビ)への出演が決定する。
2005年5月28日、『エンタの神様』に初登場。披露したネタは「ピザのデリバリー」[注 3]だった。収録の際、あまりにもウケすぎて観客の笑い声が2人のピンマイクにも入ってしまい、撮り直すべく同じネタをもう一度披露するという前代未聞の出来事が起きた。以降は知名度が上がり、同番組には定期的に出演するようになる。
2006年5月13日・2007年9月24日に新宿シアターモリエール、2006年7月22日は仙台141にて単独ライブを開催。満員御礼となった。また、10月27日には2人の母校である仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」へ出演した[9]。交通費込みで10万円と破格の出演料だった。
2007年12月23日、M-1グランプリ2007において初の決勝進出を決めると1stステージは9番目に登場して1位でFinalステージ進出を決める。最後は審査員7人から4票を獲得し大会史上初であった敗者復活枠からの優勝を成し遂げた(後にトレンディエンジェルも達成)。
2008年1月26日、イトーヨーカドー仙台泉店で、『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』(FMいずみ)の公開収録を行った(観衆は2000人)。村井嘉浩宮城県知事から「みやぎ夢大使[10]」を委嘱され、泉区長からは区長賞を授与された。
2009年5月11日、伊達がフリーアナウンサーの熊谷麻衣子との結婚を自身のブログで公表、7月11日に挙式・婚姻届を提出した。また同年6月8日、富澤が年下の一般人女性と同年4月2日を以ての結婚を所属事務所を通じて公表した。
キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し、初出場にして決勝進出。1stステージは2位以下に大差をつけて首位で折り返す。だが、Finalステージで東京03に逆転され準優勝に終わり、M-1との2冠を逃した。翌年以降は出場しておらず、M-1優勝後にキングオブコントへ出場して決勝進出を果たした最初のコンビ(またはグループ)となっている。以降、2021年までの12年間はサンドウィッチマンのみであった(2021年はマヂカルラブリーが同様にM-1優勝後にて決勝進出した)。
2009年、夏から秋にかけて初の全国ツアーを開催。以後も毎年開催され、コンビ活動の柱となっている。
2010年7月1日、約5年間所属したフラットファイヴを退社。担当マネージャーと共に現事務所・グレープカンパニーを立ち上げた。同時にフラットファイヴの所属だったほとんどの芸人たちもグレープカンパニーへ移籍した。これはフラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコが、サンドウィッチマンのM-1優勝に触発され漫才業の再開を理由とする円満移籍である。
2011年3月11日、宮城県気仙沼市の漁港にて、『サンドのぼんやり?ぬTV』(TBCテレビ)のロケの最中に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生し被災したが、即座にスタッフと出演者が全員無事である旨をブログで報告[11](後述)。
2012年から、中川家・ナイツと共に3組で「漫才サミット」と称する合同ライブを定期的に開催、各コンビが持ち回りで主催する形で全国を巡っている[注 4]。
2016年、欅坂46の冠番組である『KEYABINGO!』(日本テレビ)のMCに就任[12]。
2017年は全国ツアーの一環として、自身初の海外公演となる結成20周年目記念ロンドン特別公演を開催。チケットが即日完売となる。
2018年、『日経エンタテインメント!』(日経BP)発表の「好きな芸人ランキング」で調査開始以来14回連続でトップに君臨していた明石家さんまを抜き、1位に躍り出た[13]。
2019年、日本とスペインを拠点に活動するピアニスト・川上ミネとのコラボレーションで初のスペイン公演を開催した。
2024年、既に東北楽天ゴールデンイーグルスの応援大使を務めているが、球団創設20周年イヤーを盛り上げるべく「20周年アンバサダー」に就任した[14]。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2024年5月)
芸風
ネタ
漫才・コント両方を演じる。コンビ結成初期はコント専門だったが、東京ダイナマイトの漫才を見たのをきっかけに漫才を始める。奇抜な設定やキャラクターに頼らず、「店員と客」などベタな設定の下で交わされる会話のやりとりによるネタが多い。会話重視のネタの性質から、コントを漫才(コント漫才)に作り替えて披露する事もある。「コント師」や「漫才師」ではなく「漫コン師」と自称する場合がある(ただし響きが卑猥に聞こえることからNHKに出演する際には「コン漫師」としている)。コントではボケとツッコミを明確に分けたネタが多く、ボケは異常人でツッコミは常識人に徹する。それにも拘わらずツッコミもボケに劣らず笑いを誘発できるのが特徴。ただし2人の担当は毎回入れ替わる(伊達がボケの時は異様な扮装となるパターンが多い)。極稀に2人とも常識人ベースだが、状況に翻弄されるがまま変になっていくというネタもある。基本的には2人のみで進められるも、一部ネタではエキストラを起用する場合がある[15]。
2009年以降、毎年夏から秋にかけて新ネタのみを引っ提げ全国各地を巡る単独ライブツアーを実施している。計1万人以上を動員する大規模なツアーにも拘わらず、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ほぼ全ての会場のチケットが数分で完売するほどプレミア化しており、[要出典]翌年の春には前年のライブの模様を収録したDVDが発売されている。立川志の輔や関根勤を始め、多くの著名人が毎年ライブツアーを観覧している。ライブ構成には同事務所所属の後輩である放送作家の水野としあきも参加してきた[16][17]。
ネタ作りを担っているのは富澤で、携帯電話に書き込んで作成している。一部のツッコミを伊達が付け加える事もあるが、台本に起こし最終的な構成をかけるのは富澤の役目。また「伊達がツッコミのフレーズを先に考え、富澤がそこから逆算してボケを付ける」ケースもある(アンタッチャブルと同様)。
富澤はパソコンで清書した台本を用いたいが、伊達の「富澤の女の子みたいな丸文字で書いた文字じゃないと頭に入らない」という理由から、長らく台本は手書きだった[18]。