1960年代初頭までに、サンセット・ストリップは映画関係者の大多数からの関心を失っていたが、レストランやバー、クラブなどは地元民や観光客のお楽しみになっていた。1960年代中ごろには、ここはカウンターカルチャーの一大集積地となっており、1966年11月に警官と若いクラブ好きの若者たちの群衆を巻き込んだヒッピー暴動の舞台となった。この暴動はバッファロー・スプリングフィールドの「フォー・ホワット・イッツ・ワース」に影響を与えた。
サンセット・ストリップはロックミュージシャンとファンとの間で人気を博していた。レッド・ツェッペリンやドアーズ[2]、バーズ、ラヴ、ザ・シーズ、フランク・ザッパなどのバンドが、ガザリーズ(英語版)やウィスキー・ア・ゴーゴー、ロキシー・シアター(英語版)、パンドラズ・ボックス(英語版)、ロンドン・フォグ(英語版)などのクラブで演奏した。1965年7月にゴーゴーダンサーが舞台に立つようになった。ハイアット・ウェスト・ハリウッド(英語版)(現アンダーズ・ウェスト・ハリウッド)は人気のホテルとなった。
1970年代ロキシー・シアター(英語版)
イギリスのグラムロックムーブメントに影響を受けたロドニー・ビンゲンハイマーズ・イングリッシュ・ディスコ(英語版)は1972年にオープンした。ザ・ストゥージズやニューヨーク・ドールズなどのミュージシャンのたまり場となっていた[3]。当時のサンセット・ストリップのクラブ、特にロドニー・ビンゲンハイマーズやスターウッドは10代の客を受け入れることで有名だった。「誰もIDを携帯したり、気にしたりしませんでした。13歳の少女はセクシーな25歳のような格好で店に入ることもできたし、子供たちはバーでカクテルを注文することもできて、だから私たちが立ち上げってそこで演奏するのはそれほど難しくありませんでした」とクワイエット・ライオットの創設メンバーのケリー・ガルニ(英語版)は回想している[4]。アルバム『華麗なる誘惑』に収録された1979年のドナ・サマーの曲、「サンセット・ピープル(英語版)」はサンセット・ブールバードでのナイトライフを歌っている。サンセット・ストリップは1970年後半にパンク・ロックやニュー・ウェイヴの主要な焦点の一つであり続けた。
1980年代ウィスキー・ア・ゴーゴー
1970年代末から1980年代にかけて、サンセット・ストリップはロサンゼルスのヘヴィメタルムーヴメントの代名詞となり、一般にウェスト・コースト・メタル・エクスプロージョンと呼ばれた[5]。スターウッドやウィスキー・ア・ゴー・ゴー、ロキシーなどのサンセット・ストリップのクラブは、ヴァン・ヘイレンやクワイエット・ライオット、モトリー・クルー、ラット、ガンズ・アンド・ローゼズといったLAを中心に活動するヘヴィメタルバンドの拠点となった。LAのミュージックシーンはグラム・メタルの代名詞となり、多くのファンがバンドの髪形や服装を模倣した。ストリップ沿いのクラブに集まるヘヴィメタルファンは通りの決定的な特徴となった。
バンドがクラブで演奏するために料金を負担する「ペイ・トゥ・プレイ」ポリシーの採用は、業界のショーケースとなっているグループ以外にとっては魅力を減ずることとなった。2010年代時点で、サンセット・ストリップのクラブは音楽業界のエスタブリッシュメントが支配し続けている。
1984年11月に、ウェスト・ハリウッドの有権者による投票で市制制定が決定され、この地域は独立した自治体となった。