サンスクリット語
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ヴェーダ語は紀元前5世紀から紀元前4世紀パーニニがその文法を規定し[15]、体系が固定された[16]。その後、彼の学統に属するカーティヤーヤナおよびパタンジャリがこの理論の補遺及び修正を行い、最終的に整備された[17]。この3人、とくにパタンジャリ以後の言語は古典サンスクリットと呼ばれる[18]。古典サンスクリット成立後も、5世紀のバルトリハリなどの優れた文法学者が輩出し、文法学の伝統は続いていった[19]

パーニニの記述からはサンスクリットが北インドの広い領域で使用されていたことがうかがえるが[20]、この時期にはすでにサンスクリットは文語化しており、インド各地の地方口語(プラークリットと呼ばれる)が用いられるようになっていた[21]紀元前3世紀マウリヤ朝アショーカ王によって刻まれたインド現存最古の碑文であるアショーカ王碑文はサンスクリットでなくプラークリットで刻まれており、また上座部仏教(南伝仏教)の仏典もプラークリットに属するパーリ語で記されている[22]のは、この言語交代が当時すでに起こっていたことを示している。しかしサンスクリットは典礼言語として定着しており、宗教(ヒンドゥー教・仏教など)・学術・文学等の分野で幅広く長い期間にわたって用いられた。こうしたサンスクリット文化の伝承者はおもにパンディットと呼ばれる学者であり、彼らは膨大な文章の暗記を行い、それを読誦し、口伝によって後世へと伝えていった[23]

グプタ朝ではサンスクリットを公用語とし[24]カーリダーサなどに代表されるサンスクリット文学が花開いた[25]。この時期には碑文は完全にプラークリットからサンスクリットで刻まれるように変化しており[26]、また7世紀ごろには外交用語として使用されるようになっていた[27]。10世紀末のガズナ朝以降、デリー・スルターン朝ムガル帝国といった、北インドで交代を繰り返した中央アジア起源のインド王朝はペルシア語を公用語としたが、この時期にもサンスクリットの学術的・文化的地位は揺らぐことはなかった[28]

13世紀以降のイスラム王朝支配の時代(アラビア語ペルシア語の時代)から、大英帝国支配による英語の時代を経て、その地位は相当に低下したが、今でも知識階級において習得する人も多く、学問や宗教の場で生き続けている。1972年にデリーで第1回国際サンスクリット会議が開かれたが、討論から喧嘩までサンスクリットで行われたという。また、従来はサンスクリットは男性が使うものであったが、現代では女性がサンスクリットを使うようになってきている[29]

インドで実施される国勢調査においては現代でもサンスクリットを母語として申告する人びとが少数ながら存在し、2001年にはインドで14,135人が[30]、2011年にはインドで24,821人[1]、ネパールで1,669人[2]がサンスクリットを母語とすると回答しているが、日常語として使用されているかについては疑問が呈されている[31]

ただし日常語としての使用はなくともサンスクリット自体はいまだに生きている言語であり、インドではヴァーラーナシーはじめ数か所にサンスクリットを教授言語とする大学が存在する[32]ほか、テレビでもサンスクリットによるニュース番組が存在し[33]、サンスクリットの雑誌も発行されており[32]、さらにサンスクリット語映画も1983年から2019年までの間に8本製作されている。
音声

多くの古代語と同様、サンスクリットが古代にどのように発音されていたかは、かならずしも明らかではない。

母音には、短母音 a i u、長母音 ? ? ? e o、二重母音 ai au がある。e o がつねに長いことに注意。短い a は、[?] のようなあいまいな母音であった。ほかに音節主音的な r? r?? l? があったが、現代ではそれぞれ ri r? li のように発音される。r?? l? は使用頻度が少なく、前者は r? で終わる名詞の複数対格属格形(例:pitr??n 「父たちを」)、後者は kl?p- 「よく合う、適合する」という動詞のみに現れる。

音節頭子音は以下の33種類があった。

両唇音
唇歯音歯音
歯茎音そり舌音硬口蓋音軟口蓋音声門音


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