全部で24の学部があり、そのうち15の学部が都市部のワシリー島にある。選択できるのは通常の昼間課程の他に夜間部・通信講座・予科の課程で、学部課程・専門課程・修士課程・準博士課程・博士課程が用意されている。
規模や入試難易度などで有名な学部は法学部、数学・力学部、哲学部であり、特に法学部の卒業生には著名な政府要職者が多いことで有名である。したがって、ロシアで近年一番人気のある法学部はサンクトペテルブルク大学である[2]。サンクトペテルブルク大学法学部はモスクワ大学法学部と同じか、それ以上の高いプレステージがあると言われており、将来政府機関で働きたい学生からは特に人気がある。具体的な卒業生としてはウラジーミル・プーチン第2・4代大統領、ドミートリー・メドヴェージェフ第3代大統領、アレクサンドル・コノヴァロフ司法大臣、ドミトリー・コザク副首相、ヴィタリー・ムトコ観光スポーツ青少年政策大臣、アナトーリー・セルジュコフ国防大臣、ヴィクトル・エヴトゥホフ商工業次官、アレクサンドル・スミルロフ司法第一次官、エレーナ・ボルセンコ司法次官、ユーリ・アレクセイエフ内務次官などがおり、卒業生は現在のロシア政治エリートの主流派となっている。その他にも下院議員・州知事・検察官・憲法裁判所裁判官・ガスプロム役員など法学部卒業生は多分野で活躍している[3]。またロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンが学んでいたのも、現在のサンクトペテルブルク大学法学部である。
その他にも、ロシアではピョートル大帝の時代からモンゴル、中国、チベットなどの文献の収集がおこなわれており、その東洋学研究が引き継がれた東洋学部は世界的な東洋学の研究機関として有名である。
また、経営学部所属のビジネススクール「Graduate School of Management」(GSOM)は、2005年にSkolkovo Moscow School of Managementと共にロシア連邦政府のリーディング・ビジネススクール優先育成プロジェクトに選ばれ、MBAの取得などでロシアでもっとも充実したビジネス教育環境が整備された。その結果、現在ロシア国内・全東ヨーロッパともにGSOMはビジネススクールランキングで1位[4]、世界全体で60位[5]となっている(ハーバード大学1位、復旦大学29位、ソウル大学56位、東京大学68位、モスクワ大学91位)。
尚、日本語教育が行われている学部は3学部あり、東洋学部、言語学部、国際関係学部がある。東洋学部と言語学部には日本人教師がいる。東洋学部では日本語を主専攻で学び、言語学部と国際関係学部では第二外国語として学んでいる。このペテルブルク大学東洋学部支那・満州・蒙古学科の日本語講座は明治3年(1870年)にロシア外務省アジア局長ストレモウホフ(のち外相)が開設を提案した講座で、ストレモウホフは文久3年(1863年)に竹内下野守一行の幕府使節ではアジア局次長として、慶応2年(1866年)に樺太国境画定交渉の遺露使節団の代表正使として外国奉行・小出秀実がロシアへ派遣された時は、アジア局長としてロシア側の全権として交渉した[6]。日本人講師の初代はロシア外務省の役人となった橘耕斎、その後を外務省勤務の西徳二郎、安藤謙介が引き継ぎ、初めて教師が本職である講師として黒野義文が教壇に立った。東京外国語学校のロシア語学科最上級(第1期生)で日本最初の露語辞典『露和字彙』編纂にも関わった黒野義文は明治21年(1888年)から大正5年(1916年)までペテルブルク大学東洋学部支那・満州・蒙古学科の日本語講座で日本語を教え、『日露通俗会話篇』ほかロシア語で日本に関する本を十冊ほど執筆[7]、多くの日本学研究者を育て、欧米大学における日本学の土台を構築することになった。