サンアンドレス島
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島は2000年に「海の花生物圏保護区」の一部としてユネスコ生物圏保護区に指定された[1]

1629年にイギリス清教徒により発見され、17世紀後半にスペインにより占領された。200年間の間にイギリス、フランスオランダ、スペインによる島の領有権を巡って争っていた。同じ期間にイギリスの海賊ヘンリー・モーガンが島で隠れ基地として住んでいた。後に、イギリスの支配下にあったが、1793年にスペインとの条約により終わった。しかしイギリスとの貿易は続いた。1806年には黒人奴隷が島に送られた。現在島の住民はその奴隷の子孫である。

ニカラグアがプロビデンシア島と共に島の統治権を主張していたが、1991年にコロンビアに統治権を認めた。国際司法裁判所 (ICJ) は2012年11月19日、サン・アンドレス島を含む7つの島がコロンビア領であることを確認したうえで、周辺海域の管轄についてはニカラグアの主張を認める判決を出した。コロンビアのサントス大統領はこの判決を不服として、ICJの管轄権受け入れを義務付けたボゴタ条約から脱退する意向を示した[2]
交通

グスタボ・ロハス・ピニージャ国際空港

脚注^ “Seaflower Biosphere Reserve, Colombia” (英語). UNESCO (2020年4月). 2023年3月26日閲覧。
^ “国際司法裁、コロンビアが脱退 領有権判決に不服 - 日本経済新聞”. www.nikkei.com (2012年11月30日). 2023年3月25日閲覧。

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、サンアンドレス島に関連するカテゴリがあります。

サン・アンドレス島の公式HP

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