サル・ミネオ
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彼のキャリアの最後の1つはチャールズ・マンソンと同様のカルト・リーダーを演ずる、1975年のTVシリーズ『特別狙撃隊S.W.A.T.』でのゲスト出演だった。

1969年にミネオはL.A.で、LGBTがテーマの演劇『Fortune and Men's Eyes』のプロデュースと演出をするためにステージに戻った。当時は無名だったドン・ジョンソンをスミッティに起用してミネオはロッキーを演じた。この劇は、1967年の初演では、ステージ上で演じられることのなかった刑務所でのレイプ・シーンを、ステージ上で演じられるヌードを含んだ演出に変更したため、おおむね肯定的な評価を受けたが、レイプ・シーンは度が過ぎていて無意味であると批判された。

1970年、ミネオはボザール・アーツ・ボールのキングに選ばれ、そのクイーンがマドレーヌ・ル・ルーだったので、2人は一緒に出席した[19]

ミネオの最後の映画である1971年の『新・猿の惑星』では、チンパンジーのマイロ博士の役で出演した。

1975年、ミネオは、NBC-TVの『刑事コロンボ』のエピソード「ハッサン・サラーの反逆」に、殺害された中東の国の総領事の事件で、その助手であるラックマン・ハビーブとして出演した。このエピソードは、サイレント映画の伝説となっているハロルド・ロイドの遺産であるグリーン・エーカーズですべて撮影された。撮影の直後に、このグリーン・エーカーズは12のロットに細分化されて売却された。ミネオはまた1968年と1975年に、TVシリーズ『ハワイ5-0』の2つのエピソードに出演した。
私生活

ミネオは女優のジル・ハワースと『栄光への脱出』で共演した。ミネオとハワースは婚約関係となったが、ミネオがボビー・シャーマンと特別な関係となったことで破局した。それでも2人は、ミネオの死まで変わらない友人関係を保っていた[20][21]

ミネオは、ハワースとTVプロデューサーのアーロン・スペリングとの関係に不満を持っていた。ハワースは20歳、スペリングは42歳で、短い間の関係だったが、ある夜ミネオがハワースとスペリングがビヴァリー・ヒルズのナイトクラブに個人的に居合わせたの見つけて、歩いていってスペリングの顔にパンチをあびせたと話している[20]

1972年のボーズ・ハドリーとのインタヴューで、ミネオは自身のバイセクシュアルについてハドリーと議論を交わした[22]。ミネオの死までの6年間、俳優のコートニー・バー3世とは特別な関係にあって、生活を共にしていたとのことである[20][23]

マイケル・G・ミショーはミネオの伝記を書いていて、ハワースとの関係とバーとの関係の、大部分の情報を得ることが出来た。彼の伝記では、ミネオはティーン・アイドルだったボビー・シャーマンとは性的関係があったが、ジェームズ・ディーンドン・ジョンソンと性的な関係はなかったと主張している。ジョンソンとミネオはルームメイトとして友人関係になっていた。またミネオはティーン・アイドルのデイヴィッド・キャシディとも親しい友人同士だった[20][24]

ミネオは死後にゲイのアイコンになっている。ミネオ自身がバイセクシュアルであると言っているにもかかわらず、主にLGBTコミュニティ内では、何人かがミネオをホモセクシュアルに位置付けていて、ハワースとは親しい友人であって偽装された関係("his beard)であったと主張している[22][25]。ミショーはこれを否定して、ミネオとハワースの関係は異性関係であって、ミネオはハワースに恋をして、人生の中で最も重要な人物とみなしていた、と述べている。
突然の死

ミネオの俳優としてのキャリアは変化していた[26]。コメディ作品『P.S. Your Cat Is Dead』を1975年にサン・フランシスコで上演して、この作品でミネオが演じたバイセクシャルな強盗ヴィトーの役が好評だった。そこで1976年2月20日から、今度はLAのウエストウッド・プレイハウスでの上演が計画されていて、ミネオは同じ役での出演が予定されていた。

1976年2月12日に、この作品のブロードウェイ公演のキャストであったキア・デュリアとのリハーサルを終え、ウェスト・ハリウッドの自宅アパート裏の駐車場で車から降りたところを、暴漢に刺されて亡くなった[27][28]。ミネオが叫び声をあげ、犯人が逃げていったため、刺傷は一ヶ所だけであったが、ナイフの刃が心臓に達していたため、それが致命傷となった。

ミネオ自身もゲイだと思われていて、住んでいたウエスト・ハリウッド一帯がゲイ・タウンであったため、そのセクシャリティやドラッグなどの多くの憶測が飛び交い、事件の早急な解決は難しかった[29]

2年経って、妻の証言を契機としてピザの配達員でアフリカ系のライオネル・レイ・ウィリアムズが、ミネオを殺したとして逮捕された。ウィリアムズはミネオの殺人と、同じ地域での10件の強盗を行っていたとして、1979年3月に57年の懲役刑を宣告された[30]

ミネオが殺害された夜は暗闇の中だったので、ウィリアムズはミネオが誰であるか全く知らなかったと主張し、目撃者の証言にはかなりの混乱があった。また、ウィリアムズはモート・ハーバートによって弁護されていた。しかし、ミシガン刑務所の受刑者であったウィリアムズは、同性愛者を殺したという仲間の囚人たちに自慢していて、「ウィリアムズは殺傷時には分かっていた」と、後に刑務官は証言した[31]。ウィリアムズは1990年に仮出所したものの、その後も犯罪を起こして、また逮捕されている[32]

ニュー・ヨークでの葬儀の後、ミネオの遺体はホーソーンにあるゲ?ト・オブ・ヘヴン・セメタリーで、父の墓の隣に埋葬された[33]
ディスコグラフィー
シングル

"Start Movin' in My Direction" (1957 - Epic Records)

"Love Affair" (1957 - Epic Records)

"Lasting Love" (1957 - Epic Records)

"Party Time" (1957 - Epic Records)

"Seven Steps to Love" (1958 - Epic Records)

"Cuttin' In / Little Pigeon" (1958 - Epic Records)

"Baby Face" (1958 - Epic Records)


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