サラーフッディーン
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この結果海岸沿いに十字軍勢力は残存し、またエルサレムへのキリスト教徒の巡礼者を認めることに合意した[37]

翌1193年、サラーフッディーンはダマスカスにて病死した[38]。彼の死後、アイユーブ朝の領地は長子アル=アフダルをはじめとする彼の一族によって分割統治されることとなった[39]
サラーフッディーンの施政とその人となり

若年時から文武共に誉れが高く、出世して職責が高まるとともに贅沢を辞めるなど、機を読むことに長けていた。当時のイスラーム君主の常として少年を愛したことでも知られている。

かつてエルサレムを占領した第1回十字軍は捕虜を皆殺しにし、また第3回十字軍を指揮したリチャード1世も身代金の未払いを理由に同様の虐殺を行った。しかし、サラーフッディーンは敵の捕虜を身代金の有無に関わらず全員助けている[注釈 2][注釈 3]。彼は軍事の天才であるが、このような寛大な一面もあって、敵味方を問わずにその人格は愛され、現在まで英雄としてその名を残しているのである。捕虜を助けた事に関して、次のような逸話がある。サラーフッディーンが身代金を支払わない捕虜の扱いに困っていると、彼の弟(後に4代目スルタンとなったアル=アーディル)が捕虜を少し自分に分け与えるよう進言した。サラーフッディーンは訳を訊ねるが弟は答えず、彼の言う通りに捕虜を与えてやった。すると、弟は自分の物だからと言って全て解放してやり、こうするのが良いのだと兄に言った。喜ぶ兵士たちの姿を見たサラーフッディーンは捕虜を殺さないことを決心したという。また、病床にあるリチャード1世に見舞いの品を贈る等、敵に対しても懐の深さを見せている。

その寛容さは名声を高めたが、しばしば不利益となっても現れた。行軍の際に、途中で立ち寄った村の村人たちに軍事費の一部を分け与えていたため、彼の兵士の多くは軍事費を自腹で用意しなければならない程であったという。私財も常にそのように用いたため、サラーフッディーンの遺産は自身の葬儀代にもならなかった。また、ハッティンの戦いでティールに追い込んだ守将バリアンに対し、当初は武装解除を条件に脱出を許可していたが、書簡でエルサレムの指揮権を請われるとこれを認めて入城させ、エルサレム攻略戦での苦戦を招いている。

上記のような寛容な逸話が多いが、無条件に甘い人物というわけではなく、中でも度々休戦協定を破って隊商を襲ったルノー・ド・シャティヨンに対する怒りは大きかった。ハッティンの戦いでルノーを捕らえた際、彼と配下の騎士団員を一人残らず処刑している。前述の弟の寛容さに関しても必ずしも同意ではなく、アッコンで捕えた聖職者を自分に無断で解放した際には罰を与えている。

中世ドイツの詩人が君主に求めた徳は、勇敢さと気前良さ(物惜しみをしないこと)であるが、サラーフッディーンの気前良さは君主の目標とされた。ドイツ中世盛期の詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデは、1198年9月8日マインツでドイツ王として戴冠したフィリップ・フォン・シュヴァーベンに向かって、王たる者はサラーフッディーンを手本に「快く施しを」すべきと説き、「王の手は孔だらけでなければならぬ」、「かくしてその手は畏れられ又愛されることだろう」というサラーフッディーンの言葉を引用している[40]

ヨーロッパ文学における「高貴な異教徒」のイメージ(中世ドイツ文学では、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『ヴィレハルム』において、愛する貴婦人のために戦う異教徒の騎士)を決定づけたのは、残酷な宗教としてとらえるヨーロッパのイスラム像に当てはまらないサラーフッディーンの行動(例えば、1187年 エルサレム占領時)である[41]
名称「サラーフッディーン」「サラディン」について

アラビア語では2語から成る称号を息継ぎ無しで読み、主格では ??????? ????????(?al??u-d-d?n, サラーフッディーン)と発音する。口語では格母音脱落と補助母音再挿入が起こり ??????? ????????(?al??a-d-d?n, サラーハッディーン)と発音されることが多い。

原語ではサラーフ・アッ=ディーンのように区切って読むことは通常しないが、ラテン文字転写は実際の発音とは関係無く分かち書きをし、同化が起こりad-d?n(アッ=ディーン)と促音化するはずの定冠詞部分の発音変化を反映させずal-D?nとすることが一般的である。

そのためラテン文字転写では?al?? al-D?nとなり、アラビア語における実際の発音との乖離が生じる。一方?al?? ad-D?nのように定冠詞部分の「al-」を発音同化後の「ad-」に置き換えた転写が用いられることもある。

日本語のカタカナ表記ではサラーフ・アッ=ディーンという分かち書きではなくサラーフッディーンの方が標準的である。またラテン文字転写のように本来起こるはずの促音化を反映させず、元の形のままで定冠詞を表記したサラーフ・アル=ディーンというつづりも用いられることがある。(ただしサラーフ・アル=ディーンのようにアッ=ディーンではなくアル=ディーンと読むことはアラビア語では誤りとなる。)

アラビア語は定冠詞は1語と数えないため、サラーフ、アル、ディーンの3語に分解されるのではなく、サラーフとアル+ディーンの2語に分け間にスペースを1つ入れる扱いとなる。そのため分かち書きをする場合はサラーフ・アッ・ディーンやサラーフ・アル・ディーンではなく、サラーフ・アッ=ディーンとなる。

なお英語発音のSaladin(s?l?din, サラディン)はサラーハに近く聞こえるサラーフ(?al??)の語末「??」に含まれる咽頭摩擦音「?(?)」部分が英単語の「ah(アー)」のように読まれた上に言語に含まれていた長母音部分がいずれも短母音化しサラーフッディーン→サラーッディーン→サラディンとなったものである。
その他

シリアで流通している200シリア・ポンド紙幣には、1993年がサラーフッディーンの没後800年に当たることを記念してダマスカス市内に建てられたサラーフッディーンの騎馬像が描かれている。
映像作品
映画

キングダム・オブ・ヘブン(サラディンは有能で寛大な人物と描かれている)

テレビドラマ

『???? ????? ???????(サラーフッディーン・アル=アイユービー)』

2001年、シリア制作のラマダーン向け連続ドラマ。全30話。誕生前そして幼少期から聖地解放までを描く。宰相アル=カーディー・アル=ファーディルの執務室でサラーフッディーンが自らの思い出を語るという回想シーンをはさみながら物語が進められる形式。

アル=カーディー・アル=ファーディル役は映画『キングダム・オブ・ヘブン』でサラディン(サラーフッディーン)、?????? ?????(アッ=ザーヒル・バイバルス、2005年放映、シリア制作)で後代の人物でアイユーブ朝第7代スルターン ナジュムッディーン・アイユーブ(アル=マリク・アッ=サーリフ)を演じたシリア人俳優 ??????? ????????(Ghassan Massoud, ガッサーン・マスウード[42])。


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