サラ・ジェシカ・パーカー
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サラ・ジェシカ・パーカー
Sarah Jessica Parker
サラ・ジェシカ・パーカー
生年月日 (1965-03-25) 1965年3月25日(59歳)
出生地 アメリカ合衆国 オハイオ州ネルソンヴィル
職業女優プロデューサー
ジャンルテレビ映画舞台
活動期間1974年 -
配偶者マシュー・ブロデリック(1997年 - )
著名な家族長男:ジェームズ・ウィルキー(2002年 - )
娘:マリオン・ロレッタ・エルウェル、タビサ・ホッジ(2009年 - )
主な作品
映画
フットルース
L.A.ストーリー/恋が降る街
ハネムーン・イン・ベガス
ホーカス ポーカス
スリー・リバーズ
エド・ウッド
マーズ・アタック!
幸せのポートレート
恋するレシピ ?理想のオトコの作り方?
セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズテレビドラマ
セックス・アンド・ザ・シティ
DIVORCE/ディボース

 受賞
AFI賞
作品賞(コメディシリーズ)
2001年セックス・アンド・ザ・シティ
エミー賞
主演女優賞(コメディシリーズ)
2004年『セックス・アンド・ザ・シティ』
作品賞(コメディシリーズ)
2001年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2004年『セックス・アンド・ザ・シティ』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ミュージカル・コメディシリーズ部門)
1999年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2000年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2001年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2003年『セックス・アンド・ザ・シティ』
作品賞(コメディシリーズ部門)
1999年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2000年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2001年『セックス・アンド・ザ・シティ』
ゴールデンラズベリー賞
主演女優賞
2010年セックス・アンド・ザ・シティ2
スクリーンカップル賞
2010年『セックス・アンド・ザ・シティ2』
最低前日譚・リメイク・盗作・続編賞
2010年『セックス・アンド・ザ・シティ2』
全米映画俳優組合賞
女優賞(コメディシリーズ)
2000年『セックス・アンド・ザ・シティ』
キャスト賞(コメディシリーズ)
2001年『セックス・アンド・ザ・シティ』
2003年『セックス・アンド・ザ・シティ』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
2006年

備考
セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公キャリー・ブラッドショー役
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サラ・ジェシカ・パーカー(Sarah Jessica Parker, 1965年3月25日 - )は、アメリカ合衆国女優映画プロデューサー
来歴
生い立ち

オハイオ州ネルソンヴィル生まれ。父スティーヴン・パーカーは実業家兼ジャーナリスト、母バーバラ・パーカー(旧姓ケック)は幼稚園の教諭[1]。母はイングランド系およびドイツ[2][3]、父はニューヨーク市ブルックリン出身の東欧系ユダヤ人アシュケナジム)。父方のもともとの姓は「バーカーン」と称した。パーカー自身は自分を文化的・エスニック的にユダヤ系であると考えているが、とくに信仰活動は実践していない[4]。シンシナティにいた当時から母はニューヨーク式のライフスタイルに同化していたとパーカーは語っている。1968年に両親が離婚。その後母はトラック運転手でアカウント・エグセクティブのポール・フォーストと再婚。パーカーは3人の実兄姉および4人の異父弟妹とともにオハイオ州シンシナティニュージャージー州ニューヨーク市で育った(これら兄弟姉妹のなかには、ティモシー・ブリテン・パーカーとピッピン・パーカーの2人の俳優がいる)。子供の頃から歌とバレエを学び、「シンシナティ・バレエ」に所属した。
キャリア

8歳でテレビに初出演した子役出身。11歳の時にブロードウェイデビューし、13歳の時にミュージカル『アニー』で2年間アニーを演じた。1981年から出演したテレビシリーズ『Square Pegs』で人気となる。

1984年公開の『家族の絆』で本格的に映画に出演し、同年公開の青春映画『フットルース』で注目を集める。翌年公開の『ハイスクールはダンステリア』で映画初主演を果たす。以降は『L.A.ストーリー/恋が降る街』や『エド・ウッド』などに出演。

1998年放送開始のテレビシリーズ『セックス・アンド・ザ・シティ』で、主人公のキャリー・ブラッドショーを演じ、人気を不動のものにした。この作品でゴールデングローブ賞主演女優賞(テレビ部門)を4度、エミー賞主演女優賞を2度受賞した。しかし、2011年2月26日、『セックス・アンド・ザ・シティ2』で他3名の主演キャストたちと同時にラジー賞最低主演女優賞最低スクリーンカップル・スクリーンアンサンブル賞を受賞した。

このキャリー役以降、アメリカではファッションリーダー的存在で彼女のスタイルを真似する女性が増出。また自身の香水ブランドを作り、ラブリーとコベットと言う名前の香水を販売[5]。2007年には自身のファッションブランド「Bitten」をはじめることを発表した[6]。2008年4月には日本コカ・コーラが発売するノーカロリー コカ・コーラのリニューアルと同時に彼女のイラストがデザインされた缶(250ml、350ml)とペットボトル(1500ml)が発売された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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