サラエヴォ
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サラエヴォの呼称は、トルコ語で「宮殿」を意味する「サライ」(Saray) を語源としており[12]、この街がオスマン帝国支配下にあったころから重要な都市であることを示唆している。日本語においては、「サラエヴォ」という表記の他にも、「サラェヴォ」、「サライェヴォ」(原音ベース)、「サライエヴォ」、「サラエボ」(簡略化)、「サラェボ」、「サライェボ」、「サライエボ」[13]といった表記も見られる。
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年5月)

地理サラエヴォの衛星写真サラエヴォの地形

サラエヴォは、三角形をしたボスニア・ヘルツェゴビナの幾何学的中心に近く、北緯43度52分0秒 東経18度25分0秒 / 北緯43.86667度 東経18.41667度 / 43.86667; 18.41667に位置している。サラエヴォはサラエヴォ渓谷の中にあり、ディナール山脈に取り囲まれている。渓谷は大規模に緑に覆われていたものの、第二次世界大戦後の開発と都市拡大の中で失われていった。サラエヴォの町は濃厚な森林に覆われた丘陵地と5つの山に囲まれている。周囲を囲んでいる山々の頂上はそれぞれ、トレスカヴィツァ山の標高2088メートル、ビェラシュニツァ山の標高2067メートル、ヤホリナ山の標高1913メートル、トレベヴィチ山の標高1627メートル、最も低いイグマン山で標高1502メートルとなっている。これらの山々のうち、トレスカヴィツァを除く4つは1984年の冬季オリンピックの会場となった。サラエヴォの平均標高は500メートル程度である。町は丘陵地帯の中にあり、勾配の急な斜面の通りや、高い丘に立ち並ぶ住宅などにその特徴を見ることができる。

ミリャツカ川は町の重要な地理的特徴となっている。川は町の東から流れ込み、町の中央を通って西へと抜け、ボスナ川へと合流している。ミリャツカ川は「サラエヴォの川」であり、その源流はサラエヴォの東数キロメートル先にあるパレにある。ボスナ川の源泉、ヴレロ・ボスネはサラエヴォ西部のイリジャの近くにあり、こちらもサラエヴォの重要な地理的特徴となっている。ヴレロ・ボスネは、サラエヴォやその他の地域からの観光客の訪問先ともなっている。その他にも複数の小さな川が町やその郊外を流れている。
町のつくり

ボスニア・ヘルツェゴビナは南東ヨーロッパに位置しており、その首都であるサラエヴォはボスニア・ヘルツェゴビナの三角形の国土の幾何学的中心に近い。サラエヴォは、サラエヴォ県に属する4つの基礎自治体(オプシュティナ)、ツェンタルノヴィ・グラードノヴォ・サラエヴォスタリ・グラードからなる。サラエヴォ都市圏にはこのほかにイリジャヴォゴシュチャなども含まれる。都市圏面積は141.5平方キロメートルに上る。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争前はサラエヴォの一部をなしていた地域の一部は、紛争後にスルプスカ共和国に編入され、イストチノ・サラエヴォの一部となっている。 サラエヴォ市街
気候

サラエヴォは温暖な大陸性気候であり、北は中央ヨーロッパ、南は地中海の気候区分の間に位置している。ケッペンの気候区分によれば、サラエヴォは亜寒帯湿潤気候西岸海洋性気候のちょうど境目に位置している。年間平均気温は摂氏9.5度であり、1年で最も寒くなる1月には平均-1.3度、最も暑くなる7月には平均19.1度に達する。観測史上では1946年8月19日には最高気温40.0度に達した一方、1942年1月25日には最低気温の-26.4度に達した。平均的に、サラエヴォでは一年に68回の夏日(気温が摂氏30度以上に達する日)がある。町の典型的な気候はうす曇であり、年間平均の雲量は59%である。最も曇っている月は12月であり、雲量75%となる。逆に最も晴れている月は8月であり、雲量37%である。降水は年間を通して常にある。平均的に、年間170日は雨が降る。サラエヴォは、この地方で盛んなウィンタースポーツに適した気候であり、1984年冬季オリンピックの会場となった。

大気汚染が深刻化しており、世界で最も汚染された都市にもランクインしている[14]

サラエヴォの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)2.7
(36.9)5.9
(42.6)10.4
(50.7)15.1
(59.2)20.3
(68.5)23.1
(73.6)25.5
(77.9)25.7
(78.3)22.0
(71.6)16.5
(61.7)9.7
(49.5)3.5
(38.3)15.03
(59.07)
日平均気温 °C (°F)?0.9
(30.4)1.5
(34.7)5.1
(41.2)9.4
(48.9)14.1
(57.4)17.0
(62.6)18.9
(66)18.5
(65.3)15.1
(59.2)10.4
(50.7)5.3
(41.5)0.3
(32.5)9.56
(49.2)
平均最低気温 °C (°F)?4.4
(24.1)?2.3
(27.9)0.7
(33.3)4.4
(39.9)8.5
(47.3)11.4
(52.5)12.8
(55)12.6
(54.7)9.7
(49.5)5.7
(42.3)1.6
(34.9)?2.8
(27)4.83
(40.7)
降水量 mm (inch)71.4
(2.811)67.0
(2.638)70.3
(2.768)73.6
(2.898)81.7
(3.217)91.0
(3.583)80.2
(3.157)70.7
(2.783)70.3
(2.768)77.3
(3.043)94.2
(3.709)84.7
(3.335)932.4
(36.71)
平均降水日数 (?1.0 mm)1091011111198881011116
平均月間日照時間55.884.8127.1153.0192.2207.0257.3238.7186.0148.881.040.31,772
出典:HKO[15]

歴史サラエヴォ事件を記念するプレート
古代・中世

サラエヴォ渓谷には、ブトミル文化が栄えた先史時代にさかのぼる長く豊かな歴史がある。ローマ帝国に征服される前は、複数のイリュリア人の集落がこの地域にあった[16]

ローマ帝国統治時代、町の名前はアクアエ・スルプラエ(Aquae Sulphurae、硫黄温泉)と呼ばれ、現代のサラエヴォの郊外の町イリジャにあった[17]。ローマ帝国に次いで、7世紀にはゴート族、次いでスラヴ人が進入した[18]。町はヴルフ=ボスナ(Vrh-Bosna)と呼ばれ、スラヴ人の城塞として1263年から、町がオスマン帝国に征服される1429年まで存続した[19]
近世

1461年、オスマン帝国のルメリア州(英語版)(1365?1867)のヴルフ=ボスナ(Vrhbosna)に、sr:Скопско кра?иште知事(パシャルク)のイーサ=ベグ・イサコヴィッチ(英語版)(Isa-Beg Isakovi?)は、町を建設してボスニア・サンジャク(セルビア語版、英語版)(1463?1878)を置いた。彼の統治下で、町は大きく発展した。1461年以降、イーサ=ベグ・イサコヴィッチは町の旧市街の建設を監督し、水の供給システムやモスク、屋根つきのバザール公衆浴場、知事宮殿なども作られた。


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