また、観光もサラエヴォの経済において重要な産業となっている。サラエヴォの観光客数は2011年には256,628人を記録し、2010年との比較では10.8%伸びており延べ宿泊日数は504,929日でこちらは2010年との比較では12.9%の伸びであった。ボスニア・ヘルツェゴビナ国内からの観光客が20.3%を占め、国外からの観光客が79.7%を占めている。国外からの観光客のうち、一番大きな割合を占めるのはクロアチアからの観光客で17.9%を占め、次いでトルコが12.3%、スロベニアが7.4%、セルビアが5.5%、ドイツが4.4%であった。アメリカやイギリスからの観光客数も大きく伸びている。[33][34] サラエヴォは前述の通り観光産業が盛んである。2006年のロンリープラネットの「世界の都市」ランキングでは、43位にランクインしている[35]。 スポーツ関連の観光産業では、かつての1984年冬季オリンピックの設備、特に、付近のビイェラシュニツァ山、イグマン山、ヤホリナ山、トレベヴィチ山、トレスカヴィツァ山のスキー施設を用いている。 サラエヴォの歴史や文化は、東西それぞれの帝国の影響を強く受けており、サラエヴォ観光の魅力となっている。サラエヴォは数世紀にわたって旅行者を受け入れ続けている。これは、サラエヴォがオスマン帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の交易の拠点であったことによる。 サラエヴォの観光のみどころの一例を挙げれば、ボスナ川の源泉があるヴレロ・ボスネ公園、カトリック教会のイエスの聖心大聖堂、ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク
観光
ガジ・フスレヴ=ベグ・バザール屋根のついたバザール
ガジ・フスレヴ=ベグ・バザール(Gazi Husrev-begov bezistan)は、1542年から1543年にかけてガジ・フスレヴ=ベグによって建設された、屋根で覆われた市場である[36]。設計に携わったのはラグーサの職人たちである。長さ109メートルにわたって、50を超える店舗が立ち並んでいる。
ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク
1900年ごろに描かれたガジ・フスレヴ=ベグ・モスク。
モスクの庭の様子
ガジ・フスレヴ=ベグ・モスクは、ガジ・フスレヴ=ベグ(Gazi Husrev-beg)によって1531年に建てられたモスクであり、美しいオスマン建築の建築物である[36]。モスクを設計したのはミマール・スィナンであり、スィナンはヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋や、イスタンブールのスレイマニエ・モスクを設計した人物である。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のとき、モスクはボシュニャク人の象徴として攻撃対象とされ、サラエヴォ包囲ではガジ・フスレヴ=ベグ・モスクも大きく損傷を受けた。紛争終結後の1996年から修復が始まった。しかしながら、このときの修復資金にはサウジアラビアからのものが多く、修復に際してはワッハーブ派の影響を受けた。修復後のモスクからは色彩や装飾的な要素は取り払われ、白を基調とした質素なつくりとなった[37]。2000年から、モスクを紛争前の姿に戻すための、完全な修復の作業が始まった。単に「ベグのモスク」(Begova d?amija)とも通称される。
バシュチャルシヤ
バシュチャルシヤの様子。左に写っているのはセビリ
バシュチャルシヤの町並み。中央はブルサ・バザール
バシュチャルシヤにあるレストラン
サラエヴォの名物料理の一つであるチェヴァプチチ
バシュチャルシヤは、サラエヴォの旧市街のメイン・ストリートで、16世紀にアラブのスークをモデルに建造された商業地区であった[36]。バシュチャルシヤでは金属細工や陶磁器、宝石などが売買されていた。バシュチャルシヤには、1551年にルステン・パシャ(Rustem pasha)によって建てられたドーム状の屋根がついたブルサ・バザール(Brusa bezistan)もある。ここでは、トルコのブルサから持ち込まれた絹製品が売られていた[36]。また、1891年に建てられ、サラエヴォの代表的なシンボルとなっているセビリ(Sebilj)は独特の形状をした水汲み場で、バシュチャルシヤの中央に位置している。その名前は、アラビア語で「道」を意味する「Sebil」に由来している[36]。
ラテン橋ラテン橋。サラエヴォ暗殺事件の現場。
ラテン橋は、オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、ガヴリロ・プリンツィプに殺害された(そのため一時プリンツィプ橋と呼ばれた)、サラエヴォ事件の現場となった橋である。かつて木造だった橋は水害によって破壊され、1798年に再建された[36]。1914年、この橋の北で、大公夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった。橋はユーゴスラビアの愛国主義を記念し、プリンツィプ橋と改称されたが、ユーゴスラビア崩壊後にその呼称はかつてのラテン橋に戻された。
セルビア正教会の大聖堂セルビア正教会の生神女誕生大聖堂
サラエヴォのセルビア正教会の大聖堂は、正式名称を「生神女誕生大聖堂」と言い、生神女(聖母マリア)の誕生を記念する大聖堂である。サラエヴォの正教徒のために1863年から1868年にかけて建造された[36]。聖堂は3つのバシリカと、十字架を備えた5つのドームを有している。 サラエヴォのカトリック教会の大聖堂は、正式名称を「イエスの聖心大聖堂」といい、ボスニア・ヘルツェゴビナで最大のカトリックの大聖堂であり、イエス・キリストの聖心を記念するものである。1884年から1889年にかけて建造された、ゴシック風の建築である。
カトリック教会の大聖堂