サラエヴォ
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これは、同じ旧ユーゴスラビア諸国の観光都市であるドゥブロヴニクの59位、リュブリャナの84位、ブレッドの90位、ベオグラードの113位、ザグレブの135位を上回る[9]

サラエヴォに隣接して、ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体のひとつであるスルプスカ共和国の首都であるイストチノ・サラエヴォ(東サラエヴォ)がある。現在のイストチノ・サラエヴォの市域には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争前のサラエヴォの市域の一部が含まれている。

この地域に人が居住を始めたのは先史時代にまでさかのぼるものの、現代のサラエヴォにつながる町ができたのは15世紀オスマン帝国の統治下でのことであった[10]オーストリア=ハンガリー帝国に併合されたのちもボスニアの州都と位置付けられたサラエヴォは、近代以降の何度かにわたって国際的な注目を受けることになった。1914年にはこの地はオーストリア帝位継承者の暗殺事件の現場となり、この事件によって第一次世界大戦が引き起こされた。1984年にはサラエヴォは1984年冬季オリンピックの会場となり、さらに後のユーゴスラビア崩壊のときには、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において数年間にわたるセルビア人勢力による包囲を受けた。現在のサラエヴォは紛争後の復興開発が進み、21世紀初頭において紛争前の水準を回復しつつある。サラエヴォは、ボスニア・ヘルツェゴビナの経済・文化活動の拠点となっている[11]。サラエヴォはヨーロッパで初めて、そして全世界で2番目に早く終日(朝から夜まで)運行の路面電車が運行された町である[* 1]
呼称と表記

町はボスニア・ヘルツェゴビナの3つの公用語・ボスニア語、セルビア語、クロアチア語でサラエヴォ (Sarajevo / Сара?ево) と呼ばれる。また、トルコ語ではサライボスナ (Saraybosna) と呼ばれている。サラエヴォの呼称は、トルコ語で「宮殿」を意味する「サライ」(Saray) を語源としており[12]、この街がオスマン帝国支配下にあったころから重要な都市であることを示唆している。日本語においては、「サラエヴォ」という表記の他にも、「サラェヴォ」、「サライェヴォ」(原音ベース)、「サライエヴォ」、「サラエボ」(簡略化)、「サラェボ」、「サライェボ」、「サライエボ」[13]といった表記も見られる。
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年5月)

地理サラエヴォの衛星写真サラエヴォの地形

サラエヴォは、三角形をしたボスニア・ヘルツェゴビナの幾何学的中心に近く、北緯43度52分0秒 東経18度25分0秒 / 北緯43.86667度 東経18.41667度 / 43.86667; 18.41667に位置している。サラエヴォはサラエヴォ渓谷の中にあり、ディナール山脈に取り囲まれている。渓谷は大規模に緑に覆われていたものの、第二次世界大戦後の開発と都市拡大の中で失われていった。サラエヴォの町は濃厚な森林に覆われた丘陵地と5つの山に囲まれている。周囲を囲んでいる山々の頂上はそれぞれ、トレスカヴィツァ山の標高2088メートル、ビェラシュニツァ山の標高2067メートル、ヤホリナ山の標高1913メートル、トレベヴィチ山の標高1627メートル、最も低いイグマン山で標高1502メートルとなっている。これらの山々のうち、トレスカヴィツァを除く4つは1984年の冬季オリンピックの会場となった。サラエヴォの平均標高は500メートル程度である。町は丘陵地帯の中にあり、勾配の急な斜面の通りや、高い丘に立ち並ぶ住宅などにその特徴を見ることができる。

ミリャツカ川は町の重要な地理的特徴となっている。川は町の東から流れ込み、町の中央を通って西へと抜け、ボスナ川へと合流している。ミリャツカ川は「サラエヴォの川」であり、その源流はサラエヴォの東数キロメートル先にあるパレにある。ボスナ川の源泉、ヴレロ・ボスネはサラエヴォ西部のイリジャの近くにあり、こちらもサラエヴォの重要な地理的特徴となっている。ヴレロ・ボスネは、サラエヴォやその他の地域からの観光客の訪問先ともなっている。その他にも複数の小さな川が町やその郊外を流れている。
町のつくり

ボスニア・ヘルツェゴビナは南東ヨーロッパに位置しており、その首都であるサラエヴォはボスニア・ヘルツェゴビナの三角形の国土の幾何学的中心に近い。サラエヴォは、サラエヴォ県に属する4つの基礎自治体(オプシュティナ)、ツェンタルノヴィ・グラードノヴォ・サラエヴォスタリ・グラードからなる。サラエヴォ都市圏にはこのほかにイリジャヴォゴシュチャなども含まれる。都市圏面積は141.5平方キロメートルに上る。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争前はサラエヴォの一部をなしていた地域の一部は、紛争後にスルプスカ共和国に編入され、イストチノ・サラエヴォの一部となっている。 サラエヴォ市街
気候

サラエヴォは温暖な大陸性気候であり、北は中央ヨーロッパ、南は地中海の気候区分の間に位置している。ケッペンの気候区分によれば、サラエヴォは亜寒帯湿潤気候西岸海洋性気候のちょうど境目に位置している。年間平均気温は摂氏9.5度であり、1年で最も寒くなる1月には平均-1.3度、最も暑くなる7月には平均19.1度に達する。観測史上では1946年8月19日には最高気温40.0度に達した一方、1942年1月25日には最低気温の-26.4度に達した。平均的に、サラエヴォでは一年に68回の夏日(気温が摂氏30度以上に達する日)がある。町の典型的な気候はうす曇であり、年間平均の雲量は59%である。最も曇っている月は12月であり、雲量75%となる。逆に最も晴れている月は8月であり、雲量37%である。降水は年間を通して常にある。平均的に、年間170日は雨が降る。サラエヴォは、この地方で盛んなウィンタースポーツに適した気候であり、1984年冬季オリンピックの会場となった。

大気汚染が深刻化しており、世界で最も汚染された都市にもランクインしている[14]

サラエヴォの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)2.7
(36.9)5.9
(42.6)10.4
(50.7)15.1
(59.2)20.3
(68.5)23.1
(73.6)25.5
(77.9)25.7
(78.3)22.0
(71.6)16.5
(61.7)9.7
(49.5)3.5
(38.3)15.03
(59.07)
日平均気温 °C (°F)?0.9
(30.4)1.5
(34.7)5.1
(41.2)9.4
(48.9)14.1
(57.4)17.0
(62.6)18.9


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