サラエヴォ
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たとえば、サラエヴォでは、インターネットは1995年に初めて使用可能となった[44]

オスロボジェニェ(Oslobo?enje、「解放」)は1943年に創設され、紛争後のサラエヴォで運営期間が最も長く、紛争を生き延びることのできた唯一の新聞であった。しかし、発行部数では1995年創刊のドネヴニ・アヴァズ(Dnevni Avaz、日刊「声」)や、ユタルニェ・ノヴィネ(Jutarnje Novine、「朝のニュース」)に追い越された[45]。その他に地元で定期的に発行される新聞としては、クロアチア語の新聞フルヴァツカ・リイェチ(Hrvatska rije?)や、ボスニア語のスタルト(Start)、週刊誌のスロボダナ・ボスナ(Slobodna Bosna、「ボスニア解放」)、BHダニ(BH Dani「BHの日々」)などがある。ノヴィ・プラメン(Novi Plamen)は月刊誌であり、左翼思想を代表している。

ボスニア・ヘルツェゴビナ公共放送サービスは、サラエヴォの公共放送局であり、ボスニア・ヘルツェゴビナの3つある公共放送のうちのひとつである。その他にサラエヴォに本拠地を置く放送局は、NRTV “Studio 99”、NTV Hayat、Open Broadcast Network、TV Kantona Sarajevo、Televizija Alfaがある。このほかに多くの小規模な独立ラジオ局があり、Radio M、Radio Stari Grad、Studentski eFM Radio[46]、Radio 202、RSGなどがある。Radio Free Europeや、その他の欧米各国の放送も展開されている。
交通輸送サラエヴォはヨーロッパで初の終日(朝から夜まで)運行している路面電車が導入された街である。路面電車はそのあとも時代に合わせて改良が進められている。

サラエヴォは山に囲まれた渓谷に位置しており、街は小さくまとまっている。狭い路地と駐車場の不足によって、街への自動車の進入は制限され、歩行者や自転車にとっては恵まれた環境になっている。街の2つの主要な通りはヨシップ・ブロズ・チトーの名を冠するティトー通りと、東西を結ぶズマイ・オド・ボスネ(ボスニアのドラゴン、Husein Grada??evi?)・ハイウェーがある。欧州高速道路のCorridor 5Cは、サラエヴォの街を北はブダペスト、南はプロチェ(Plo?e)へと結んでいる[47]

路面電車1885年から運行しており、サラエヴォで最古の公共交通機関である[48]。サラエヴォには7本の路面電車の路線と、5本のトロリーバスの路線があり、また多くのバス路線がある。サラエヴォで主要な鉄道の駅は、街の中北部に位置している。この鉄道駅からは、西にむけて多くの場所に路線が枝分かれしており、街の工業地帯などとも結ばれている。サラエヴォは21世紀にはいり、産業の刷新が進んでおり、多くの高速道路や通りの改修、路面電車の現代化、新しい橋や道路の建設が進められている。

サラエヴォ国際空港、あるいはブトミル空港(Butmir)はサラエヴォの街から南西に数キロメートルのところに位置している。紛争中、空港は国際連合と人道的支援のために使用された。1996年デイトン合意が結ばれてからは、空港は民間による使用を受け入れている。2006年、534,000人の旅客がサラエヴォ空港を利用した。その10年前の1996年、旅客の利用はわずかに25,000人であった[49]
文化ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館

サラエヴォは多くの異なる宗教が共存してきており、街の文化を多様なものとしている。ボスニアのムスリム、正教徒、カトリック教徒、ユダヤ人は互いに同じ街に住みながら、それぞれ独自のアイデンティティを維持し続けてきた。しかし、紛争後はムスリムの人口比率が高まった。紛争後の年月が経過するにつれ、すこしずつ街を去った人々の帰還も進んでいる。また、東アジアからの移民も増加している。

サラエヴォには多くの博物館がある。その中には、サラエヴォ博物館、アルス・アエヴィ現代美術館(Ars Aevi)、ボスニア・ヘルツェゴビナ博物館(en、1988年に開設され、サラエヴォ・ハッガーダー(Sarajevo Haggadah)を所有)、ボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館、ボスニア・ヘルツェゴビナ文学・芸術博物館などがある。

サラエヴォには、1919年に設立されたボスニア・ヘルツェゴビナ国立劇場もある。また、サラエヴォ青年劇場もある。その他の文化的施設としては、サラエヴォ文化センター、サラエヴォ市図書館、ボスニア・ヘルツェゴビナ・アート・ギャラリーなどがある。ボシュニャク協会(Bosniak Institute)は、ボシュニャク人の歴史に焦点をあてた私有の図書館と美術コレクションである。

紛争に関連する破壊によって[50]、そして復興開発のなかで、複数の施設や文化的・宗教的象徴が失われた。その中には、ガジ・フスレヴ=ベグ図書館や、国立図書館、サラエヴォ・オリエンタル協会、1984年の冬季オリンピックに関する博物館などがあった。その後、各層の政府によって文化財保護の法律と機関が設けられた。サラエヴォで文化的遺産の保護を受け持つ機関となっているのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ文化的・歴史的・自然遺産保護協会、およびボスニア・ヘルツェゴビナ国立記念物保存委員会である。

歴史的に、サラエヴォはオスマン帝国時代、複数のボスニアの詩人や思想家の故地となった。ノーベル賞受賞者のウラジミール・プレローグはこの街の出身である。また、アカデミー賞受賞のダニス・タノヴィッチもサラエヴォ出身である。ノーベル賞受賞のイヴォ・アンドリッチはその人生の多くをサラエヴォで過ごした。

サラエヴォ映画祭は1995年に始まり、バルカンで随一の映画祭となった[51][52]。有名なサラエヴォ・ジャズ・フェスティバル(Sarajevo Jazz Festival)や、何週間にもわたって続く地元の文化・音楽・舞踊のショーケース「バシュャルシヤの夜」(Ba??ar?ija Nights)もある[51][53]

ポップ・ロック・サラエヴォ派(Sarajevska ?kola pop-roka、en)は1961年から1991年まで発展を続けた音楽である。この種類の音楽は、インデクシ(Indexi)、ビイェロ・ドゥグメ(Bijelo dugme)などのバンドや、シンガー・ソングライターのケマル・モンテノ(Kemal Monteno)らによって始められたものである。この音楽は誕生後1980年代も続き、プラヴィ・オルケスタル(Plavi orkestar)、ザブラニェノ・プシェニェ(Zabranjeno pu?enje)、ツルヴェナ・ヤブカ(Crvena jabuka)などが活躍したものの、1992年の紛争勃発によって潰えた。紛争が終わって初めてサラエヴォでライブをしたバンドは、アイルランドU2であった。
催事

サラエヴォで行われる主な催し物としては、サラエヴォ映画祭とサラエヴォ・ジャズ・フェスティバル(Sarajevo Jazz Festival)が挙げられる。

サラエヴォ映画祭はサラエヴォ中心部の国立劇場で開かれ、世界的に有名な俳優や映画監督、音楽家などがホストを務める[51]。このホストをした人物には、スティーヴ・ブシェミボノクーリオジョン・マルコヴィッチニック・ノルティダニエル・クレイグウィレム・デフォーアンソニー・ミンゲラカトリン・カートリッジアレクサンダー・ペインソフィー・オコネドースティーヴン・フリアーズなどが挙げられる。1995年にサラエヴォ映画祭が始まって以来、フェスティバルは多くの人々や有名人らをひきつけ、フェスティバルは国際的な水準へと昇華していった。サラエヴォ映画祭の第1回は紛争の続くサラエヴォで1995年に開かれた。サラエヴォ映画祭では2000年代に入り、バルカン半島で最大で最も著名な映画祭となった[54]。第13回サラエヴォ映画祭では、ジュリエット・ビノシュジェレミー・アイアンズスティーヴ・ブシェミマイケル・ムーアが審査員を務めた。

サラエヴォ・ジャズ・フェスティバルは、ホストとしてリチャード・ボナジョン・バトラー・トリオ、クリスティーナ・ブランコ(Cristina Branco)、Dhafer Youssefらが参加している。フェスティバルはボスニア文化センター(「主ステージ」)、サラエヴォ青年舞台劇場(「奇妙な果実ステージ」)、ヴォイスカ・フェデラツィイェ会館(Dom Vojske Federacije、「ソロ・ステージ」)、CDS(「グルーヴ・ステージ」)にて開かれている。
スポーツアシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場

サラエヴォは1984年冬季オリンピックの会場となった。ユーゴスラビアはこの時1つのメダルを獲得した。このメダルは銀メダルであり、男子大回転でユレ・フランコ(Jure Franko)に対して与えられたものであった[55]。多くのオリンピック設備は紛争を耐え抜き、あるいは再建された。それらの中にはゼトラ・オリンピック・ホール(Olympic Hall Zetra)やアシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場(Asim Ferhatovi? Hase Stadium)も含まれる。後にサラエヴォでは南東ヨーロッパ友好大会を共催し、また2009年スペシャルオリンピックス冬季大会会場に選ばれたものの[56]、この計画は中止となった[57][58]


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