1920年代は、世界各国に船旅を続け、ニューヨークをはじめアメリカ各地・南太平洋へ、後に中国大陸、マレー半島、インドシナ半島を訪れ、主に短編作品へ結実している。1926年に、南フランス地中海地域のリヴィエラ(コート・ダジュール)にあるフェラ岬に、本拠となる大邸宅を購入したが、1927年に夫人シリーと離婚した(シリーはカナダに居住し、1955年に没す)。以上の出来事をはさみつつ、キプロス、スペイン、イタリア、北アフリカ、西インド諸島などを旅行し、1930年に東南アジア地域の旅行記『一等室の紳士』(The Gentleman in the Parlour )、1935-36年にスペイン滞在『ドン・フェルナンド』(Don Fernando )や、南海旅行記(My South Sea Island )を出している。
シンガポールに建つラッフルズ・ホテルを「ラッフルズ、その名は東洋の神秘に彩られている」と絶賛し、長期滞在した。シンガポールMRTのサマセット駅はモームの名から採られている。他にタイ・バンコクのザ・オリエンタル・バンコクを高く評価した。長期滞在もしており、現在同ホテルにはモームの名を冠したスイートルームがある。 1933年に『シェピー』を機に戯曲の創作を終了する。1935年に自作評論を兼ねた自伝『要約すると』を出版、1936年に娘ライザがロンドンで結婚し、家を贈った。1937年から翌年にかけインド各地を旅行した。 第二次世界大戦勃発前後は、イギリス当局からの依頼でフランスでの情報宣伝活動を行うが、1940年6月のパリ陥落により、邸宅を撤収しロンドンへ亡命、翌年に体験手記『極めて個人的な話』を公刊した。10月にリスボン経由でニューヨークへ向かい、終戦までアメリカ各地に在住する。戦争中に大作『剃刀の刃』を刊行、多大な反響を呼び、数年で映画化された。 大戦中にリヴィエラの邸宅は、枢軸軍・連合軍双方の軍に占拠され、激しく傷んだが、改修して1946年より再度居住し、同年チェーザレ・ボルジアとニッコロ・マキャヴェッリとの政治闘争を描いた『昔も今も』を発表した。1948年刊の『カタリーナ』を最後に小説の筆を絶った。その後は『世界の十大小説』『人生と文学』などの評論・エッセイを発表し、1958年に評論集『作家の立場から』をもって、執筆活動の終了を宣言したが、以後も序文などを収録した『Selected Prefaces and Introductions 』を出版、短い回想記『Looking Back 』を発表している。 1950年にモロッコを、1953年にギリシア、トルコを、1956年にエジプトを、他にたびたびヨーロッパ各地を訪問した。1954年に即位まもないエリザベス2世に謁見し、名誉勲位を叙勲した。1959年にアジア各地を旅行訪問し、11月から約1か月間日本に滞在し、訳者の英文学者たちとも交流した。帰路はタイ・バンコクに長期滞在している。1962年に所有していた絵画多数をサザビーズ・オークションで売却し、同時に解説を付したコレクション画集『自らの楽しみのためだけに』(Purely For My Pleasure )を公刊した。 最晩年は高齢による認知症により、親族と被害妄想などのトラブルを起こした。1965年12月暮れに長期入院していたニースの病院から、自身の希望でリヴィエラの邸宅へ戻り、間もなく没した。没年91歳だった。 モームの作品は平明な文体と巧妙な筋書きを本分としている。モームは面白い作品こそが自らの文学であるといい、ゆえに通俗作家と評されてきた。モームは小説の真髄は物語性にあると確信し、ストーリーテリングの妙をもって面白い作品を書き続けたが、作品の中にはシニカルな人間観がある[3]。 幼少時に母を亡くしており、この母への思慕は相当なもので、『人間の絆』の冒頭部で描かれている。またモームは吃音に苦しみ、ますます孤独感を強めていった。こういった境遇の後に、医学生時代に暮らした貧民街に住む人々と交わったことは、モームに人間の奥底をのぞかせた。最初に日本に紹介し、来日したモームとも面談した中野好夫は、その作品について「通俗というラッキョウの皮をむいていくと、最後にはなにもなくなるのではなく、人間存在の不可解性、矛盾の塊という人間本質の問題にぶつかる」と評している[4]。その姿勢は、『人間の絆』において「ペルシャ絨毯の哲学」として提出される、人生は無意味で無目的という人生観に現れている。人生を客観的に描いてきたモームは、『要約すると』では「自分は批評家たちから、20代では冷酷(brutal)、30代では軽薄(flippant)、40代では冷笑的(cynical)、50代では達者(competent)と言われ、現在60代では浅薄(superficial)と評されている」と書いている。 モームの文体は非常に平明であるが、その文体はヴォルテールやスコットに学んだものである。
活動後期と晩年
作家評