サブカルチャー
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これは反抗する対象としてヨーロッパでは階級社会、アメリカではピューリタンがあったのに対し、日本製サブカルチャーはアメリカの模倣に留まっていたことが大きい[7]

1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以外の人間が学問領域、特に社会学哲学、精神分析などの言葉を用い学際的に物事を語るようになった。サブカルチャーという言葉もこの頃日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了し、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画、アニメ、オタク、コンピューター・ゲーム以外にも、声優、アイドル、ハードロック、ヘヴィメタル、パンクなどのロックミュージック、芸能人サイバーパンクオカルト鉄道マニアなどもサブカルチャーと見なされることがあった。

しかし、1980年代サブカルチャーに共通していえることは「マイナーな趣味」であったということであり、この段階で既に本来のサブカルチャーの持っていたエスニック・マイノリティという要素は失われていた。確かに幾つかの要素は公序良俗に反すると見なされたという点で既存の価値観に反抗していたが、学生運動経験者のクリエイターなどを除けば1960年代のカウンターカルチャーの政治的ベクトルとは関係は希薄になった。

西側の学生運動の中では異様な規模の内ゲバの頻発や、各セクトによる大学支配によって一般学生の間に政治運動への忌避感が強まり、日本では1970年代から1980年代にかけて政治と思想・文化の関係が断絶していた[8]。サブカルチャーの政治回帰はセクトの力が弱まった1990年代以降で、左側では血みどろの新左翼の時代を意図的に飛ばして戦後民主主義への回帰[9]、右側では戦前における音楽界同様にナショナリズム消費に回収されて、愛国排外運動へ向かうという形で現れた[10][11]。戦後民主主義とリベラルの教条主義(別しては日教組)が久しく権威をもっている日本では、反権威の文化であるサブカルチャーは右傾化した[3]。アカデミズムの場ではサブカルチャー評論がポリティカル・コレクトネスに囲い込まれていき、オタク的な知が排除され批評シーンが衰退する[12]

この変化には、日本における民族問題意識の希薄さ以外にも、サブカルチャーという概念の輸入が社会学者ではなく、ニュー・アカデミズムの流行に乗ったディレッタント(英、伊: dilettante。好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)によって行われたことも関連している。研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったともいえる。
おたくの台頭

サブカルチャーに区分することが適切かについては議論があるが(岡田斗司夫などはサブカルチャーではないとしている[7])、日本独特のものとして、おたく文化がある。

1980年代になると、かつて吉本隆明が予言したように、ハイカルチャーとの上下関係が消失していく[13]。この頃のサブカルチャーは複数の要素を内包しつつも、ジャンル間に横の繋がりは希薄で、場合によっては複数の分野を掛け持ちすることはあったものの、基本的に愛好者たちは別々の集団を形成していた。しかし1990年代に入ると転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成するようになる[14]パソコン通信インターネットの時代になると、おたく文化とサイバーカルチャー・アングラカルチャーカウンターカルチャーが融合し、「アンダーグランドさ」と「内輪意識」が確立された[15]

おたく業界は、特化した雑誌メディアが囲い込んだ特定のファンにのみ情報発信するので、巨額の宣伝費は要らず、同時にそうやって囲い込まれたファンは集中的かつ高価格の商品に対し極端な購入の仕方をするという、売る側からすれば大変効率の良いものであった[13]。しかし、かつてはおたく=秋葉原=ダサい、サブカル=渋谷=カッコいいという極論が唱えられ、おたく文化の地位はサブカルチャー内においても低いもので、おたく文化との同一視を嫌う人が「サブカル」の語を使用した[16]。また研究者[誰?]の側からすれば未知の分野であるおたく文化の形成等に興味が無く、漫画、アニメをサブカルチャーから切り離すこともあった[17]

ようやく2000年代後半になり、アニメの海賊版などが動画サイトやSNSを通じて世界的に有名になり、これら文化とともに育った世代も成人を迎え、世界規模のOTAKU文化を生んでいる[15]。以降はおたく文化が、日本サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている[注 3][注 4]

その一方でインターネットの大衆的普及は「アンダーグランドさ」と「内輪」を薄めていき、2010年代にはSNSを通じた一般的で大衆的な商業コンテンツとなった。それがサブカルチャーといえるのかは異論も多いところで、松永天馬は「これ以上サブカルにこだわろうとすれば、それは懐古趣味になりかねない」と述べている[2]

おたく文化とサブカルチャーの境界は曖昧である。上記の秋葉原・渋谷二元論など、サブカルチャー同士が対立した場合もある。そのため、同じサブカルチャーという言葉を用いているにもかかわらず、まったく別の事柄について論じている場合が多々見られる[注 5]
サブカルチャーとカルチュラル・スタディーズ

日本ではサブカルチャーという言説が一人歩きしている。特にカルチュラル・スタディーズの専門家[誰?]からは1980年代サブカルチャーブームを、日本において独自進化を遂げたものとして、その意義を認めようとする動きが出ている[18]。しかし、それもストリート・カルチャーやテクノ、ヒップホップなど、カルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャー研究で既に経験済みであった要素までである。

1980年代サブカルチャーの側は、そもそもカルチュラル・スタディーズの概念に無関心である。もともと正規の学問の場を離れることを特徴の一つとしたニューアカデミズムの影響もあり、彼らのサブカルチャーは、起源を切り捨て独自進化を遂げたサブカルチャーの概念からメインカルチャーをも規定した[4]。文化・メディア研究に詳しい上野俊哉は宮台真司らによるメインカルチャーの定義は、むしろハイカルチャーの概念に近いものであることを指摘している[19]
同義語/反対語

ポップカルチャー、オタク文化はときには同義語として使用されることもある。「オタク文化」とサブカルチャーが同一視される場合もあるが、両者の微妙な差異にこだわる向きもある(例: 「
ユリイカ」2005年8月増刊号 オタクvsサブカル!)。また、オタク文化は、お坊ちゃん文化という面もある。

ハイカルチャーメインカルチャーが反対語である。ただしサブカルチャーの台頭によりメインカルチャーとは何たるかが曖昧になっている。

関連出版社・メディア

ヴィレッジヴァンガード

太田出版

角川書店

講談社

光文社

コアマガジン

彩図社

集英社

小学館

新宿ロフトプラスワン

青林堂 - 月刊漫画ガロ

青林工藝舎 - 青林堂退社組が新たに設立


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