舞台は、パリのモントルイユ夫人邸のサロン。サド侯爵夫人・ルネの母の家である。登場人物は、モントルイユ夫人、ルネ、シミアーヌ男爵夫人、サン・フォン伯爵夫人、ルネの妹・アンヌ、家政婦・シャルロットの女性6人のみで、話題の中心人物であるサド侯爵(アルフォンス)は登場しない[注釈 2]。
第1幕は1772年の秋。第2幕は6年後の1778年9月。第3幕はさらに12年後の1790年4月。なお、モントルイユ夫人、ルネ、アンヌ、サド以外の人物は作者創作の架空の人物である[2]。
サド侯爵夫人・ルネは「貞淑」。厳格な母親モントルイユ夫人は「法・社会・道徳」。敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人は「神」。性的に奔放なサン・フォン伯爵夫人は「肉欲」。ルネの妹・アンヌは「無邪気、無節操」。家政婦・シャルロットは「民衆」を代表するものとして描かれ、これらが惑星の運行のように交錯しつつ廻転し、すべてはサド侯爵夫人をめぐる一つの精密な数学的体系となる[2]。 第1幕 - 1772年秋。パリのモントルイユ夫人邸のサロン。サド侯爵夫人・ルネの母親であるモントルイユ夫人は、娘婿であるアルフォンス(サド)の無罪を勝ち取るための裏工作を依頼しようと、自邸に敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人と、性的に奔放で有名なサン・フォン伯爵夫人の2人を招いていた。アルフォンス(サド)は、娼婦虐待事件(マルセイユ事件
あらすじ
第2幕 - 6年後の1778年9月。パリのモントルイユ夫人邸のサロン。ルネは妹・アンヌから、アルフォンス(サド)の犯罪を罰金刑で済ますとする高等法院の再審の結果を聞き喜ぶ。これまでルネは、5年前にアルフォンスの脱獄を図り成功させ、有罪判決を破棄させようと懸命に努めたが、母・モントルイユ夫人の計らいで夫は再逮捕されていたのである。ところが喜んだのもつかの間、再審で釈放を勝ち取った直後、夫はその場で今度は王家の警官に捕らえられ、さらに厳重な牢獄へ入れられたという。その経緯を、ルネはサン・フォン伯爵夫人から聞く。そして、それは全てモントルイユ夫人の申請による策略だと聞かされた。ルネは母・モントルイユ夫人に詰め寄り、激しい言葉の応酬が交わされる。母はルネに、夫(サド)を牢屋に入れておけば嫉妬もせずにすむのに、どうして彼の自由を願うのかと聞き返す。それはお母様から教わった「貞淑」のためだとルネは言うが、母は納得しない。母・モントルイユ夫人は密偵からの報告で、アルフォンス(サド)が脱獄していた時、ルネが彼の生贄になり、汚らわしい行為に耽っていたのを知っていたのである。それをルネに向かって話してしまうが、ルネは、あなた方夫婦(父と母)は偽善としきたりの愛で道徳や正常さと一緒に寝て、一寸でも則に外れたものを憎しみ、蔑んでいると母に言い返し、「アルフォンスは、私だったのです」と告白する。
第3幕 - さらに12年後の1790年4月。フランス革命勃発後9ヶ月。パリのモントルイユ夫人邸のサロン。革命が勃発して王族や貴族には身の危険が迫っていた。アンヌが一緒にヴェニスへ逃げようと誘うが、モントルイユ夫人には、牢屋に繋がれていたアルフォンス(サド)が身内にいれば、免罪符となって自分たちは安全だという計算があった。王はまだ存命だが、裁判によるこれまでの決定は無効となり、アルフォンス(サド)は自由の身になって、帰ってこようとしていた。一方、ルネは夫が釈放されるというのにシミアーヌ男爵夫人のいる修道院へ入ると決める。