原産地は中央アメリカのメキシコ中央部からグアテマラにかけてとする説が有力である[3][7]。紀元前3000年以前から、メキシコ地域で栽培化されていたとみられている[7]。その後は南米のペルーに伝わり、古代ペルーの遺跡からサツマイモの葉や花、根を描いた土器や綿布が発見されていることから、重要作物になっていったと考えられている[7]。
15世紀末にクリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、スペインのイザベル女王へ献上したこと契機に、アメリカ大陸からヨーロッパへと広まった[3][7]。しかし、もともと熱帯作物であったため、ヨーロッパではジャガイモのように普及することはなかった[7]。イギリスではエリザベス朝の頃に、その甘さから好意的に受け入れられた。イギリス人はこの芋をペルーでの塊茎を意味する言葉 batata から patate と呼んだ。18世紀末に甘くないジャガイモ(potato)が一般化するにつれ、サツマイモは sweet potatoと呼ばれるようになった[17]。
大航海時代の1498年に、コロンブスがベネズエラを訪れて以降、1519年にはポルトガルのフェルディナンド・マゼランがスペイン船隊を率いて南端のマゼラン海峡を発見。16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人あるいはポルトガル人により東南アジアに導入された[要出典]。ルソン島(フィリピン)から中国を経て、17世紀の初め頃に琉球、九州へと伝わった[要出典]。
ニュージーランドへは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara) の名称で広く消費されている[要出典]。西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広く栽培されていた。
日本へは、17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着した[3][7]。なお、1597年に宮古島に伝わったとの説もあるが、年代に疑義がある上、宮古島から他の地域へは伝播しなかった。西日本の大飢饉の折に、鹿児島で餓死者を出さなかったことから、凶作の年でも収穫が見込める救荒作物として重要視されるようになり[7][18]、江戸時代に飢饉を救う救荒作物として栽培が奨励された[10]。飢饉対策に腐心していた江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって、1735年、蘭学者の青木昆陽が薩摩から江戸に種芋を取り寄せて、小石川御薬園(現:小石川植物園)などでサツマイモを試作し、これをきっかけに東日本各地でも栽培が広がった[7][18]。20世紀の第二次世界大戦(太平洋戦争)中は、軍事統制下の深刻な食糧難からサツマイモ栽培が大いに奨励された[7](日本列島における普及史については、「日本列島における栽培と普及史」も参照)。
品種日本におけるサツマイモの品種別栽培面積掘り出したサツマイモ
世界には4000種あるといわれているが、日本で栽培されるのは40品種程度である[9]。紅あずま、紅こまち、紅赤(べにあか)、安納紅、安納こがね、紅はるか、シルクスイート、金時などの品種がある。なかでも、関東では紅あずま、関西および九州では高系14号が主流となっている[9]。デンプン原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)などがある。天然着色料の原料としても使用される品種に[19]、七福人参(カロテン色素を抽出する。)、琉球紫(アントシアニン色素を抽出する。)、パープルスイートロード(アントシアニン色素を抽出する。)がある。葉を楽しむ観葉植物用の品種も市販されている。
紅あずま