サッポロビール
[Wikipedia|▼Menu]
ビール類の市場占有率は、会社分割後の日本麦酒が1949年に38.7パーセントで1位[3]となり1952年まで単独1位、1953年は原料配給の関係で日本・麒麟・朝日は3社同率[3][4]1954年は1位から麒麟、朝日の順で日本麦酒は第3位[3]1961年に2位となり以降商号変更後も2位を継続して1970年代生ビール競争も善戦したが、1989年はアサヒが2位でサッポロは3位[3]2008年サントリーが3位でサッポロは4位、2009年も4位であった[5]。当社が開拓した第三のビール分野もキリンビールに次ぐ2位で、2008年・2009年上半期ブランド別ビール類販売数量順位はビールの黒ラベルが唯一ランクインした[6]。サッポログループ全体の2006年連結決算は、恵比寿ガーデンプレイスなど不動産事業の利益は37億円で酒類事業の経常利益9億円を圧倒し、後述のスティール・パートナーズの株取得を誘引した。川湯温泉駅のホーム柱の駅名表示板下に掲出された広告

来歴から北海道内の知名度は非常に高く、道内の公共交通施設に「本場の味:サッポロビール」などの広告掲出が多い。道内の飲食店は「ビール」の注文にサッポロビールを提供する時代が長かったが、平成になってからは道内においても他社のビールが多く販売され、「北海道は、サッポロビール。」の企業イメージで道内限定のキャンペーンを行うなどして北海道市場の確保に尽力している。

大日本麦酒が分割された際に東日本を主要地域とする日本麦酒として発足したことから、大阪など関西や西日本地区の販売は高くなく、吉本興業と「よーし、もっと黒ラベル」キャンペーンを催すなどしている。

サッポロビールのラベルに描かれている星は北極星(ポラリス)を表す前身の開拓使麦酒醸造所を保有していた北海道開拓使の徽章で、同社の伝統である。

現在のサッポロビールは、2003年(平成15年)7月1日に当時のサッポロビール株式会社(同日付でサッポロホールディングス株式会社と商号変更)の会社分割により設立されたものである。

2008年(平成20年)3月末に大阪工場(大阪府茨木市)が閉鎖され、現在の西日本の生産拠点は九州日田工場(大分県日田市:開設当時は「新九州工場」)の1ヶ所のみとなっている。

同業他社やアルコール取り扱いメーカーでも展開している容器入り低アルコール事業において、同社も2004年から参入し、缶入りチューハイカクテルを製造・販売していたが、ビール類(ビール・発泡酒・第三のビール)事業に経営資源を集中するため2007年(平成19年)までに業務用の「氷彩サワー」を除いて撤退した[7]。しかし、若年層のビール離れが進み低アルコール飲料を好む状況から商品ラインナップの充実化が必要と判断して2010年(平成22年)に容器入り低アルコール事業に再参入し[7]、同年5月26日に不二家との共同開発による「ネクターピーチサワー」を発売した[8]
協働契約栽培

専門技能を持つフィールドマンが直接生産地に赴いて協働で生産する取り組み[9][10][11]。このことにより、サッポロビールが栽培から加工までの管理に関わることになる[9]

2003年(平成15年)9月、サッポロビールは「2006年までにすべての麦芽とホップを協働契約栽培にする」と宣言し[9][10][11]、達成している[9][12]

この取り組みに対しては次のような受賞歴、表彰歴がある。

2006年(平成18年)11月 カナダ連邦政府より、カナダ産麦芽の売上と評価を高めたとして「2006年カナダ 農産食品優秀賞」を受賞[12]

2007年(平成19年)5月 オーストラリアサウス・オーストラリア州政府より、現地の穀物産業や同州の生産者に対しての多大な貢献を評価するとして表彰を受ける[12]

2008年(平成20年)2月 ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州政府より、協働契約栽培の取組みを評価するとして表彰を受ける[12]

2008年(平成20年)5月 ドイツ連邦政府より、協働契約栽培の取組みを評価されて「ドイツ連邦栄誉賞 金賞」を受賞[13][12]。日本企業としても、ドイツ国外のビール醸造メーカーとしても初の受賞となった[13]

沿革

1876年9月 - 開拓使麦酒醸造所として創業。

1877年 - 冷製「札幌ビール」発売。

1882年3月16日 - 札幌麦酒醸造所に改称。

1884年5月 - 札幌麦酒醸造場に改称。

1886年12月 - 大倉組札幌麦酒醸造場に改称。

1887年12月28日 - 札幌麦酒会社を設立。

1893年12月27日 - 札幌麦酒株式会社に社名変更。

1899年 - 日本麦酒醸造会社工場竣工(後のサッポロビール恵比寿工場)。

1906年3月26日 - 大阪麦酒・日本麦酒・札幌麦酒の3社合同により、大日本麦酒株式会社を設立。

1909年6月10日 - 清涼飲料水「シトロン」発売。

1911年5月23日 - 清涼飲料水「ナポリン」発売。

1913年 - 帝国麦酒株式会社工場竣工(後のサッポロビール九州工場)。

1914年3月21日 - 清涼飲料水「リボンラズベリー」「リボンタンサン」発売。

1923年

2月21日 - 日本麦酒鑛泉株式会社東京工場竣工(後のサッポロビール埼玉工場)。

6月6日 - 大日本麦酒株式会社名古屋工場竣工(後のサッポロビール名古屋工場)。


1949年

9月1日 - 過度経済力集中排除法及び企業再建整備法の適用を受けた大日本麦酒株式会社の決定整備計画に基づき、日本麦酒株式会社を設立。初代社長に柴田清(1887?1961、栃木県出身、東京帝大卒、大日本麦酒元常務)[14]

12月1日 - 「ニッポンビール」発売。


1952年

4月1日 - 「全糖リボンシトロン」「リボンタンサン」発売。

4月21日 - 「リボンジュース」発売。


1955年5月 - 「濃縮リボンジュース」発売。

1956年3月23日 - 「サッポロビール」復活。

1961年 - 大阪工場竣工。

1964年1月1日 - サッポロビール株式会社に社名変更し、本店を東京都中央区銀座に移転。

1971年


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:207 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef