サッカー
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一方同じ漢字文化圏でも日本語では「蹴球(しゅうきゅう)」という漢字が当てられている[注釈 5]。漢字表記自体が一般的ではないものの、朝鮮語における漢字表記も「蹴球(??、チュックー、ツックー)」が用いられる[注釈 6]

日本語では、foot(足)でなく、「蹴る」と「ボール」が組み合わさっており、このスポーツを動的に捉えた意訳をしている。このように「蹴る」と「ボール」を組み合わせたものには、イタリア語のカルチョ、ハンガリー語: Labdarugas、ベトナム語: Bong ?aなどが相当する。
試合ペナルティーエリア内からの近距離シュートを決めようとする選手

サッカーはLaws of the game(競技規則)として知られている一組のルールに従ってプレーされる。

試合は、サッカーボールとして知られている球形のボール(FIFAの試合では外周71 cm (28 in))を使用してプレーされる。

それぞれ11人の選手からなる2チームは相手チームのゴール(ポストの間かつバーの下)にボールを入れ、得点することを競う。

試合終了の時点でより多くのゴールを記録したチームが勝者となる。もしゴールが同点の時は、試合は引き分けとなる。

(勝ち負けをつける場合は、延長戦をすることになる。)それぞれのチームは1名のキャプテン(主将)によって率いられる。

競技規則で定められているキャプテンの唯一の公式な責務は、キックオフあるいはペナルティーキックの前のコイントスに参加することである[13]

試合における主要な規則は、ゴールキーパー以外の選手はプレー中に手あるいは腕を使ってボールを故意に扱ってはならないということである。スローインによる再開の際には手を使用してもよい。選手は大抵ボールを動かすのに足を使用するが、手あるいは腕以外の体のどの部分を使用してもよい(とりわけ額を用いたヘディングが使われる)[14][15]。通常のプレー中は、全ての選手はどの方向にボールを動かしてもよいし、ピッチの至るところに移動してもよいが、オフサイドポジションでボールを受けることはできない[16]

典型的な試合では、選手はドリブルでボールをコントロールしたり、チームメートにパスをしたり、相手ゴールキーパーによって守られたゴールに向かってシュートしたりすることで、得点機会を作り出そうと試みる。相手選手はパスを途中で捕まえたり、ボールを保持した選手に対してタックルしたりすることでボールの支配を取り戻そうとする。しかしながら、相手との間の身体的接触は制限されている。サッカーは一般的に流動的なゲームであり、プレーが止まるのはボールがフィールドを出るか、規則違反のために審判によってプレーが止められた時のみである。停止後、規定の方法によってプレーを再開する[17]ボールがゴールに入るのを止めるために飛び込んでいるゴールキーパー

プロフェッショナルレベルでは、ほとんどの試合でわずか数ゴールしか生まれない。例えば、2005-06シーズンのイングランドプレミアリーグでの一試合平均ゴール数は2.48であった[18]。競技規則では、ゴールキーパー以外のポジションは規定されていないが[19]、多くの専門化された役割がこれまでに生じている。これらは、3つの主要なカテゴリーが含まれる。得点が主な役割であるフォワード(FW)]、相手チームの得点を防ぐことに専門化したディフェンダー(DF)]、フォワードにボールをパスするために相手からボールを奪い保持するミッドフィールダー(MF)]である。これらのポジションの選手は、ゴールキーパーと区別するためにフィールドプレーヤーと呼ばれる。これらのポジションは、選手がほとんどの時間に位置しているフィールド上のエリアに応じて、更に細かく分けられる。例えば、センターバックや、レフト(左)ミッドフィールダー、ライト(右)ミッドフィールダーなどである。10人のフィールドプレーヤーの組み合わせは様々である。それぞれのポジションの選手の数がチームのプレースタイルを決定する。フォワードが多くディフェンダーが少ないチームはより攻撃的となるが、逆はより守備的なスタイルとなる。選手は通常特定のポジションで試合のほとんどを過ごすが、選手の移動に関する制限はほとんどなく、いつでもポジションを入れ替えることができる[20]。選手の配置は「フォーメーション」として知られている。チームのフォーメーションおよび戦術の決定は大抵、チームの監督の権限である[21]
歴史
起源「フットボール#起源」を参照紀元前400 ? 375年に作られたピレウスの墓碑には、パライストラでボールの練習をする若者が彫られている。代の画家蘇漢臣「長春百子圖」談山神社のけまり祭

サッカーは、古代からあったとされる[22]

南米ではアマゾンの熱帯雨林から天然ゴムが採取できた為、早くからボールを蹴る競技が行われていた。パタゴニアアンデスのインディオ文明からは、様々なボール(もしくはそれに類するもの)や、ボールを蹴る競技の証拠が見つかっている。紀元前1500年チリのピリマタム、パタゴニアのチョエカ、紀元前800年メキシコマヤ文明のポク・タ・ポクまたはピッツ、アステカのウラマリツリなどがあった[23][24]

足でボールを蹴る遊戯は、考古学的には、古代エジプト古代ギリシャ古代ローマから足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されている(紀元前200年古代ギリシャのエピスキロス、紀元前200年古代ローマのパルパツウム)[24]

FIFAミュージアムでは、日本と中国の蹴鞠メソアメリカの球技、古代ギリシャの球技エピスキロス(英語版)やファエニンダ(Phaininda)、アポラクシス(aporraxis)、オウラニア(ourania)、古代ローマの球技ハルパストゥム(英語版)、トリゴン(英語版)、フォリス、パガニース、アレナータなどがサッカー前史として紹介されている[25]
中国・日本・東南アジア
詳細は「蹴鞠」を参照

中国では戦国時代に足で鞠を蹴りあう蹴鞠(しゅうきく)という遊戯が存在したことが、前漢末(紀元前1世紀)の「戦国策」に見える。同じく前漢の史記には、蹴鞠が、軍事訓練の基礎的な課目の一つであったと記載されている[26]

2014年には、内モンゴル自治区バヤンノール市磴口県で、早期青銅器時代から新石器時代後期の約5000年前の岩壁画に蹴鞠が描かれていたことが発見された[26]。2014年にFIFAのゼップ・ブラッター会長が中国の博物館に「中国はサッカー発祥の地」とする認定証をおくった際は物議を醸した[27][28]

蹴鞠は日本にも伝わり、644年には遊ばれており、独自の発展を遂げた[29]。FIFAミュージアムは、日本の蹴鞠は、何世紀も受け継がれてきた歴史的な記録を持っており、正確な詳細がわかっている唯一の古代の球技であると紹介している[25]

東南アジアマレー半島には、ボールを落とさないように数人で蹴り合うセパラガがあり、蹴鞠に類似している。タイには、篭の中にボールを蹴り入れることを競うジャンクイタクローがあり、これらはサッカーとバレーボールを合わせたようなセパタクロー(Sepak Takraw)として、9世紀からスポーツとして遊ばれている[30]。セパタクローは、中国の蹴鞠が伝わったものともいわれる[31][32]
イタリア詳細は「カルチョ・フィオレンティノ」を参照17世紀、フィレンツェで行われたカルチョ・フィオレンティノの様子


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