レコーディングは前作『ビトウィーン・ザ・バトンズ』のリリースから間もない1967年2月9日から、ロンドン、オリンピック・スタジオにて開始された。だがそれからすぐの2月12日、ミック・ジャガーとキース・リチャーズが警察の手入れを受け、大麻所持の容疑で立件された[13]。3月下旬からのヨーロッパ・ツアーはつつがなく行われたが、5月10日には今度はブライアン・ジョーンズが同じく大麻所持の現行犯で逮捕された(翌日には保釈金を収め、保釈されている)[14]。
6月末に下された判決は、ジャガーが3ヶ月の、リチャーズが1年の禁固刑であった。彼等は即日上訴し[15]、7月31日の判決で、ジャガーが12ヶ月の条件付で釈放、リチャーズは無罪となり、収監は免れた[16]。裁判のために中断されていたレコーディングは8月になってから再開され[17]、9月7日を以って終了した[17]。ジョーンズは12月に1000ポンドの罰金と3年間の保護観察処分となった[18]。
当時のグループの様子について、ワイマンは「ストーンズは精神的にも肉体的にも完全に分裂状態にあった」と自著に綴っており[19]、相当苦難に満ちた状況で合ったことが窺える。そんな彼らの救援名目で、ザ・フーがストーンズの「ラスト・タイム/アンダー・マイ・サム」をレコーディングし、シングルカットしたこともあった。ジョーンズはこれに加えて、この年の3月に、自らの暴力が原因で恋人のアニタ・パレンバーグをリチャーズに奪われるという出来事もあり、このショックが癒えないうちの逮捕に完全に打ちのめされ、さらに投獄されるかもしれないという恐怖感にもかられ、ひどい鬱状態にあったという[20]。当時、ジョーンズがストーンズを離れ、後釜にジミー・ペイジが入るという噂まで立てられたほどである[21]。このため、一説にはジョーンズは本作にほとんど関わらなかったと語られ、ワイマンも「ブライアンは休んでばかりだった」と振り返っているが[22]、実際のところジョーンズは全曲に参加しており、メロトロンやシタール、さらに全管楽器を一手に引き受け、本作のサウンド面に大きく貢献している[23]。 ジャケットのデザインも、サウンド同様にサイケデリックなものとなっている。オリジナル盤のジャケットには3D写真(レンチキュラー)が用いられ、見る角度によって絵柄が動くようになっていた。撮影はマイケル・クーパーで、日本製の高価な3Dポラロイドカメラが使用された。表ジャケットの中にビートルズのメンバーの顔が紛れ込んでいる。これはビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットにおいて、シャーリー・テンプルの蝋人形が着ていたセータに書かれている「WELCOME TO ROLLING STONES」に対する返答だと推測される。 背景のセットはストーンズのメンバーも加わり、3日かけて組み上げた[10]。また、ジャガーは、このジャケットの撮影中も麻薬をやっていた事を後に打ち明けている[8]。見開きジャケットの左側にある迷路は、ジョーンズの考案である。迷路のゴール地点が表ジャケットの背景にある砦に繋がっている、という趣向である[24]。 3Dジャケットは、リイシュー版では廃され固定写真となっているが、2010年に日本版のSHM-CDで、この3Dジャケットが再現された。 前作と同じく全英3位、全米2位にまで上昇し、アメリカではリリースもされないうちにゴールド・アルバムを獲得したが[24]、売り上げはすぐに減少した。
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