サクソフォン
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マウスピースの設計は音色に重大な影響を与える[12]。異なる演奏スタイルには、異なる設計特性・特徴のマウスピースが好まれる傾向がある。初期のマウスピースは、クラシック演奏のための「温かみのある」、「丸みのある」音を出すために設計された。クラシックのマウスピースの中でも、凹型(「掘り込み型」)の「チャンバー」を持つものは、アドルフ・サックスの原初の設計に忠実である。これらは、クラシック演奏のラッシャー(英語版)派に好まれる、より柔らかな(あまり突き刺さらない)音色を与える。マルセル・ミュールに影響されたクラシック演奏のフランス派に従うサクソフォーン奏者は、高次の倍音を比較的多く含む幾分「明るい」音色のために一般的により小さなチャンバーを持つマウスピースを使用する。1920年代以降のダンス楽団やジャズアンサンブルでのサクソフォーンの使用は、「ダイナミックレンジ」と遠達性(プロジェクション)を重視し、これによってマウスピースのチャンバー形状や先端デザイン、金属構造に革新をもたらされた。クラシックのマウスピースとは対極にあるのが、チャンバーが小さく、先端とチャンバーの間のリードの上のクリアランス(隙間)が低いもので、ハイ「バッフル」と呼ばれる。これらは、最大のプロジェクションを持つ明るい音を生み出し、アンプに接続された楽器の中で音を際立たせるのに適しており、現代ポップスやスムースジャズで一般的に使用される。

マウスピースは、加硫ゴム(エボナイトと呼ばれることもある)、樹脂、および青銅あるいは外科用ステンレス鋼(英語版)といった金属など多種多様な素材で作られる。これまで使われたあまり一般的でない素材には、木、ガラス、水晶、磁器、骨がある。最近、デルリンがマウスピースの素材に加わった。

マウスピース素材のサクソフォーンの音色への影響はこれまで多くの議論の対象となってきた。ラリー・ティール(英語版)によれば、マウスピースの素材は音に、たとえあったとしても、わずかしか影響を与えず、物理的な寸法がマウスピースに音色を与える[13]。「暗く」鳴る金属製のマウスピースや「明るく」鳴る硬質ゴム製のマウスピースの例がある。金属に比べて硬質ゴムの剛性が低いため、金属を使うよりも音色やレスポンスに影響を与える設計特性が制限される。硬質ゴムの先端付近に必要とされる追加体積が、口の位置や気流特性に影響を与える。最近では、ネックコルクに入る「シャンク」の上のマウスピースの質量を増やすことが、マウスピースとネックの接続部を安定化することによって倍音列の完全性を高めるための設計要素となっている。シャンク重り(シャンクの上にある真鍮の大きな輪)は、「共鳴と遠達性」を高めるために、一部のデルリン製マウスピースで使用されている[14]。硬質ゴムのボディーとがっしりした金属製シャンクを採用した他の「ハイブリッド型」設計も同様の質量分布を持っているものの、製品説明では音の特性への寄与は強調されていない[15]
歴史
初期開発と採用アドルフ・サックス。サクソフォーンの発明者。

サクソフォーンはベルギーの楽器製作者、フルート奏者、クラリネット奏者であったアドルフ・サックスによって1840年頃に設計された[3]ディナン生まれで元々はブリュッセルを拠点としていたサックスは、楽器事業を興すために1842年にパリへ移った。サクソフォーンに取り組む前、サックスはバスクラリネットのキイ装置と音響を改善し、低音域を拡張することによっていくつかの改良を行った。サックスはオフィクレイド(木管楽器と同様のキイを持つ低音大型円錐形金管楽器)の製作者でもあった。これら2つの楽器での経験によって、最初のサクソフォーンを製作するために必要な技能と技術を磨くことができた。

バスクラリネットを改良した仕事の副産物として、サックスは金管楽器の遠達性(プロジェクション)と木管楽器の俊敏性を併せ持つ楽器の開発を始めた。サックスは、オーバーブローイング(英語版)で12度音程が上がるクラリネットとは異なり、オクターブでオーバーブローイングすることを望んだ。オクターブでオーバーブローイングする楽器は、両方の音域で同一の運指を有する。

サックスはシングルリードマウスピースと真鍮製円錐形胴管を持つ楽器を作り上げた。1840年代初頭には複数のサイズのサクソフォーンを製造しており、1846年1月28日にこの楽器について15年間の特許を申請し、取得した[16]。この特許は、ソプラニーノからコントラバスまで基本設計の14の型(2つのカテゴリーにそれぞれ7種類)を網羅していた。限られた数のFとCの調性を持つ楽器がサックスによって生産されたが、E♭とB♭の調性を持つ型がすぐに標準となった。当初はすべての楽器で、高音部譜表の五線の下のBから五線の上の3本目の加線の半音下のE♭までの音域が書かれており、それぞれのサクソフォンの音域は2オクターブ半であった。サックスの特許は1866年に失効した[17]。その後、膨大な数の他の楽器製作者がサクソフォーンの設計とキイ装置に自身の改良を実装した。

左手はトリエベール第3型オーボエ、右手はベーム・クラリネットを参考にしたサックスの原初のキイ装置は、あまりに単純で、特定のレガートパッセージや広い音程を指で演奏するのが極めて困難であった。このシステムは後に追加キイ、連結機構、いくつかの音程をより簡単にするための代替運指などによって発展していった。

サクソフォンの開発の初期には、上のキイ音域はE、さらに五線の上のFまで拡張された。1880年代、サクソフォーンのための楽譜はローBからFの音域で書かれた。1887年、ビュッフェ・クランポン社がベルの延長と音域をB♭まで半音下に拡張するための追加キイの追加に関する特許を取得した[18]。この拡張は現代のほとんどの設計において標準となっている。バリトンサクソフォーンは例外でさらにローAまで音域が拡張された。最高音がFの高音域は、現代サクソフォーンでアルティッシモF♯が一般的となるまでの1世紀近くにわたって標準であり続けた。

1840年代と1850年代、サックスの発明は小さなクラシックアンサンブル(サクソフォーンアンサンブルと混合アンサンブルの両方)においてや、独奏楽器として、またフランスとイギリスの軍楽隊において使われるようになった。サクソフォーンの教則本が出版され、サクソフォーン指導がフランス、スイス、ベルギー、スペイン、およびイタリアのコンセルヴァトワール(音楽院)で提供された。1856年までに、ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団は8本のサクソフォーンを編成に含んでいた。サクソフォーンは管弦楽曲においても実験的に使われたが、オーケストラの楽器として広く使われるようにはならなかった。1853年から1854年に、ルイ・アントワーヌ・ジュリアンのオーケストラは米国コンサートツアーでソプラノサクソフォーンを一員として加えた[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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