サクス=コバーグ=ゴータ家
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フェルディナントはハンガリー名門貴族コハーリ家(英語版)のマーリア・アントーニアと結婚して同家の後継者となった(コブルグ=コハーリ家)が、その長男フェルディナントは1836年にポルトガル女王マリア2世と結婚し(フェルナンド2世)、1910年に革命で王制が廃止されるまでポルトガル王家として続いた(ブラガンサ=コブルゴ家)。フェルナンド2世の次弟アウグストの末息子フェルディナントは、1887年にバッテンベルク家アレクサンダル1世に代わってブルガリア公となり、1908年からは国王(ツァール)を称した(フェルディナンド1世)。ブルガリア王家はフェルディナンド1世の子孫によって継承され、共和制に移行する1946年まで続いた。
エルンスト1世の家系
ザクセン=コーブルク=ゴータ公家
エルンスト1世1826年 - 1844年

エルンスト2世1844年 - 1893年

アルフレート1893年 - 1900年、兼エディンバラ公

カール・エドゥアルト1900年 - 1918年、兼オールバニ公)

ドイツ革命以降のザクセン=コーブルク=ゴータ公家
カール・エドゥアルト1918年 - 1954年

フリードリヒ・ヨシアス1954年 - 1998年

アンドレアス1998年 - )

イギリス王家(サクス=コバーグ=ゴータ家)
エドワード7世1901年 - 1910年

ジョージ5世1910年 - 1917年


家名が第一次世界大戦時の敵国ドイツ由来であることを憚って、1917年に「ウィンザー家(Windsor)」と改姓した。
ウィンザー朝」を参照
エルンスト1世の弟たちの家系
コブルグ=コハーリ侯家「ザクセン=コーブルク=コハーリ家」を参照
ポルトガル王家(ブラガンサ=コブルゴ家)「ブラガンサ=コブルゴ家」を参照
ブルガリア王家(サクスコブルゴツキ家)「ザクセン=コーブルク=コハーリ家」を参照
ベルギー王家「ベルギー国王の一覧」も参照
サクス=コブール=ゴータ家
レオポルド1世1831年 - 1865年

レオポルド2世1865年 - 1909年

アルベール1世1909年 - 1920年

ベルジック家(ベルヒエ家、ベルギエン家)

第一次世界大戦後の1920年、第一次大戦の敵国ドイツ由来のサクス=コブール=ゴータの名称に代わって、国名を家名として用いることを決めた。改称後の家名は、多言語国家であるベルギーの事情によりベルジック(フランス語: Belgique)、ベルヒエ(オランダ語: Belgie)、ベルギエン(ドイツ語: Belgien)と三様に表記される。
アルベール1世1920年 - 1934年

レオポルド3世1934年 - 1951年

ボードゥアン1951年 - 1993年

アルベール2世1993年 - 2013年

フィリップ2013年 - )

2015年11月12日の王室勅令により、「ベルギー王子/王女」の称号を有する王族の対象が、王ならびに皇太子の孫世代までに狭められた[1]。これに伴い、「ベルギー王子/王女」の称号を有さない王族が用いる姓として、「サクス=コブール=ゴータ」という歴史的な家名が「サクス=コブール」に短縮されて復活した[1]
系図

        フランツ
コーブルク=ザールフェルト公                                

                                               
                                 
    アントイネッテ エルンスト1世
コーブルク=ザールフェルト公
コーブルク=ゴータ公         フェルディナント     ヴィクトリア


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