国籍
サウジアラビア国籍 69%
外国籍 31%
詳細は「サウジアラビアの人口統計
広大なアラビア半島には古来から続く無数の部族勢力が跋扈しており、サウード家による長年の中央集権化政策・部族解体政策にもかかわらずサウジアラビア人という民族意識の形成には至っていない[要出典]。部族社会が定住民だけでなく遊牧民から形成されていること、各地に点在する少数派宗教なども状況を難しくしている。サウード家自身、中央集権化政策が頓挫するたびに部族間・宗教間のパワーバランスを権力保持に利用している[要出典]。しかしながら、アラビア半島諸国の統一とオスマンへの反逆をワッハーブ運動[注釈 3]の名の下成功させたという点では、サウジ人という意識もあり国民国家とも呼べる。
概ねサウジの住人は、サウジ国民という意識の前に「どの部族の出身か」(部族対立)、「どの地方の出身か」(地方対立)、「どの宗派を信じるか」(宗派対立)、「どの階級に属するか」(階級対立)で、自らを認識しているという[要出典]。
統計局が発表した、2010年の人口統計は27,136,977人で、サウジアラビア国籍が18,707,576人と全体の69%に過ぎず、外国人が8,429,401人となっており、総人口の31%が外国人労働者である。最も多い外国人はインド人とパキスタン人でそれぞれ130万?150万人に達する。次いで、エジプト人、イエメン人、バングラデシュ人、フィリピン人、ヨルダン人、インドネシア人、スリランカ人、スーダン人などが多くなっている。労働省によると、登録されている家庭内労働者120万人のうち、女性48万人がメイド(アラビア語:?????)として登録されている。 言語は公用語が古典アラビア語で、日常生活での共通口語は、サウジアラビアの現代口語アラビア語変種である。 外国人労働者の母語として、いくつかの言語が話されている。
言語
アラビア語ヒジャーズ方言 (約600万人) - アラビア半島の紅海沿岸の地方
アラビア語ナジュド方言 (約800万人) - アラビア半島の中央部にある高原地帯
アラビア語湾岸方言 (約20万人) - ペルシャ湾岸
タガログ語 (約70万人)
ロヒンギャ語 (約40万人)
ウルドゥー語 (約38万人)
アラビア語エジプト方言 (約30万人)
宗教メッカのカアバ神殿メディナのナバウィモスク
宗教はイスラム教スンナ派が国教である。このため、国民が他の宗教を信仰することは禁じられており、サウジアラビア国籍の取得の際にもイスラム教への改宗が義務付けられている。西部にイスラム教の聖地であるメッカがあるため、世界各地から巡礼者が訪れることもあってイスラム世界においての影響力は最も大きい。
このため、サウジアラビア国民はイスラム教徒が100%であると公表されているが、これは他の宗派や宗教の存在を公式に認めていないという建前上の見解によるものである。実際には国内に多数のシーア派は住んでおり、財団法人中東経済研究所の調査によると、シーア派はイランと地理的に近い東部州に多く東部州の人口の42.5%を占めており、サウジ全土では6.4%になると推定されている。また、イエメンに近い南部のアブハーなどもシーア派(イスマーイール派、ザイド派)が多いとみられる。アメリカ合衆国中央情報局による統計では、スンナ派が85?90%、シーア派が10?15%と推計されている[64]。
多数のシーア派の居住する東部地方は、アハサーと呼ばれていた土地で、サウジアラビアに征服され併合された土地である。初代国王アブドルアジーズは東部州を併合するのに際しシーア派住民による一定の自治を認めたが、時代と共に自治権を奪われ名目上は存在しないことにされてしまったという経緯がある。このため、長年にわたりシーア派の宗教機関は非合法な存在とされてきた。湾岸戦争以降は、反体制運動を行っていたシーア派を容認、和解した。
湾岸戦争以降は、他の宗派を容認する方向へ方針転換を行い、法律上もシーア派以外にも他宗教の存在を公式に認めている。近年では、他宗教の信仰も限定的ながら解禁されてきている[要出典]。しかし、これは建前上のものとされ、地方では他宗派への差別的政策が未だ執られている。また、他宗教の容認は国政の一層のイスラーム化を求めるイスラム原理主義への改革運動の激化を引き起こし、サウジアラビア人によるイスラーム主義武装闘争派のテロを引き起こした。このため、各個人や集団による私的なジハードを禁止するために、国王の勅令がなければ禁止とする法令が出された。
国民の4%はキリスト教徒だとも言われているが、内務省の統計では外国人居住者(数十万人のアメリカ軍関係者と外国人)もキリスト教徒に含まれている。近年では宗教指導者たちが示す宗教的見解と民衆の生活の乖離が進み、国民が宗教的な指導に従わなくなってきており、宗教指導者がハラーム(禁忌)であるとファトワー(宗教見解)を出したものの、多くの民衆が禁忌に従わず利用を継続することが珍しくなくなった。代表的なものとしてポケモン、バレンタインデー、クリスマスなどがある。
民衆が宗教指導者の言うことを聞かなくなった結果、宗教指導者が今まで以上に原理主義的で過激な発言を繰り返したり、宗教警察である勧善懲悪委員会による取り締まりを過激化させる傾向にある。このような過激な発言がニュースで配信されたりしてネット上で話題になることがあるが、発言と実情がかけ離れていることが多い。2008年には過激派宗教指導者二人が国王によって解任されるなど、過激派宗教指導者はサウジアラビアでも排除され始めている[要出典]。
サウジアラビア最高の宗教権威であった最高ウラマー会議は長年にわたりワッハーブ派が独占してきたが、近年になって近い宗派であるシャーフィイー学派がわずかに参加するようになり、2009年2月14日に21名に増員されるとハナフィー学派とマーリク学派のウラマーも入った[要出典]。これによってサウジアラビア最高の宗教権威であった最高ウラマー会議がワッハーブ派の独占ではなくなりスンナ派の四大法学派が全てそろったことになる。 アラブ社会に近現代日本のような姓は存在しない。その代わりに といった形でその人物の出自が示され[65][66]、これらがフルネームとして扱われている。 このうち本人のファーストネーム以降の部分を非アラブ諸国における姓・苗字/名字・家名に相当する部分として用いるため、サウジ人を含むアラブ人のラストネームは本人の父もしくはそれ以前の祖先の名前や一族が所属する部族の名前(多くは遠い父祖の名前由来)になっていることが一般的である。 これらは出自表示であり姓とは異なるため、結婚時に夫のラストネーム・家名に変更するといった改姓を行う習慣は存在せず、いわゆる夫婦別姓とは異なる概念となっている。いくつかのアラブ諸国では西洋風に結婚後夫のラストネームを名乗ることも行われているが、サウジアラビアでは一般的ではない。
婚姻と姓
本人のファーストネーム+父の名前+出身部族を示す語
本人のファーストネーム+父の名前+出身氏族を示す語
本人のファーストネーム+父の名前+先祖名由来の家名
本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前
本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+出身部族を示す語
本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+出身氏族を示す語
本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+先祖名由来の家名
本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+曽祖父の名前
教育詳細は「サウジアラビアの教育(英語版
イスラム教を国教とする祭政一致国家のため宗教教育が重視されるが、自然科学や実技については不十分とされる。初等教育の段階でクルアーン(コーラン)の朗誦、講義を受ける。高等教育ではコンピューターや金融など第三次産業に関わるカリキュラムが組まれる。一方、初の工科系大学であり男女共学制のアブドラ王立科学技術大学 (KAUST) が、2009年9月に100億ドルの基金で設立された。また、シーア派を邪教とする教育が、シーア派を含むすべての国民に対して長らく行われてきたとされる。