デ・ラ・ソウルのデビュー作『3・フィート・ハイ&ライジング(英語版)』(1989年)やビースティ・ボーイズの『ポールズ・ブティック(英語版)』といった1980年代末に発表されたアルバムはサイケデリック・ヒップホップの幕開けとも呼べるもので、ザ・モンキーズやピンク・フロイドといったアーティストの楽曲をサンプリングするなど他のアーティストに影響を及ぼした。1990年代、サイケデリック・ミュージックトラップを掛け合わせようという実験が行われた。その結果ヒップホップにおいてサンプリングは常套手段として使われ、サンプリングという手法はドクター・ドレやアイス・キューブとその甥であるデル・ザ・ファンキー・ホモサピエン(英語版)、スヌープ・ドッグ、Terminator X、The Pharcydeなど多数のミュージシャンがジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスやパーラメント-ファンカデリックといったサイケデリック・ミュージックの楽曲をサンプリングするようになった。
ジャングル・ブラザーズは1990年に発表した"I'll House You"という曲の中でアシッド・ハウスとヒップホップの融合を行い、ア・トライブ・コールド・クエストは同年に発表した "en:I Left My Wallet in El Segundo"でジャズとルー・リードの楽曲のサンプリングを用いた。デジタル・アンダーグラウンドはセックスとSFとP-ファンクのネタをステージ上で融合させた一方、アレステッド・ディベロップメントはスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンの影響を受けた楽曲を発表していった。このほかにも、ディガブル・プラネッツ(英語版)、ディヴァイン・スタイラー(英語版)、サイプレス・ヒルらがサイケデリック・ミュージックの影響を受けた楽曲を発表していった。また、アメリカ西海岸出身のヒップホップグループ、ファーサイドがR&Bチャートやブラック・ラジオ局の番組を賑わせた。
1990年代にはRZA、ザ・ルーツ、ディアンジェロ といったミュージシャンが登場した[53]。
ネオ・サイケデリア詳細は「en:Neo-psychedelia」を参照ネオ・サイケデリアというジャンルを開拓したバンドであるエコー&ザ・バニーメン。2006年に行われたアムスデルダムのライブの様子
1970年代後半に勃興したポストパンク・シーンの中、スージー・アンド・ザ・バンシーズ[54]、ティアドロップ・エクスプローズ(en:The Teardrop Explodes)、エコー&ザ・バニーメン、チャーチ、ザ・ソフト・ボーイズ(en:Soft Boys)[55]といったバンドが現れる形で、サイケデリック・ロックは復活した。1980年代初期のアメリカにおいて、これらのバンドは、ロサンゼルスを拠点にペーズリー・アンダーグラウンド( en:Paisley Underground )を展開し、ザ・ドリーム・シンジケート(en:The Dream Syndicate)、バングルス、レイン・パレード(en:Rain Parade)といったバンドもアメリカに現れるようになった[56]。1980年代半ばのプリンスや、レニー・クラヴィッツの1990年代の作品などにみられたように、音楽業界の主流でサイケデリック風な楽曲がはやることもあったが、サイケデリック・ミュージックにとりかかったバンドの多くはオルタナティヴ・ロックやインディー・ロックのミュージシャンやバンドだった[55]。1990年代、ジ・アップルズ・イン・ステレオ(en:The Apples in Stereo)、オリヴィア・トレモロ・コントロール(en:The Olivia Tremor Control)、ニュートラル・ミルク・ホテル、エルフ・パワー(en:Elf Power)、オブ・モントリオールといった、コミュニティエレファント6(en:Elephant 6 )に所属するバンドやミュージシャンたちは、折衷的なサイケデリック・ロックやフォーク・ミュージックを作った[57]。エレファント6以外に、サイケデリック・ロックの域に進出したオルタナティヴ・ロックバンドやミュージシャンには、オーストラリアのチャーチや、ニック・サロマン率いるen:The Bevis Frond、マーキュリー・レヴ、ザ・フレーミング・リップス、スーパー・ファーリー・アニマルズなどがおり、この中でもスペースメン3はスペース・ロックというジャンルを生み出した[55]。1990年代前半、サイケデリック・ロックとブルース・ロックと、ドゥームメタルを融合させたような、ストーナー・ロックというジャンルが生まれた。このジャンルの音楽は、ややゆったりしたテンポと、ベースの低く重いサウンド[58]、メロディアスなボーカルと、「レトロな」つくりが特徴とされている[59]。このジャンルはカリフォルニアのバンド カイアス[60]と スリープ(Sleep)[61]によって開拓された。イギリスでは、1988年にザ・ストーン・ローゼズ[62]がデビューシングルを出し、キャッチーなネオ・サイケデリック・ギター・ポップスとしてヒットし、その影響でマッドチェスターシーンが出来上がり、1990年代のブラー[63]や オアシスといったイギリスのポップスバンドに影響を与えた。特にオアシスは、『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』で、1960年代のサイケデリック・ポップ/ロックを再現したようなサウンドを生み出した[64]。その直後にあたるポスト・ブリットポップ(en:post-Britpop)時代、クーラ・シェイカーが、渦巻くような重いギターのサウンドといった1960年代後半のサイケデリック・ミュージックの要素を取り入れ、インドの神秘主義やスピリチュアルと合わせた楽曲を発表してきている[65]。2000年代に入ってもネオ・サイケデリアの熱は冷めず、テーム・インパラ[66]や、エセックス・グリーン( en:The Essex Green)といった[67]バンドが1960年代のサウンドを再現している。